前項に引き続き、『ミステリ・マガジン』2月号[Amazon]掲載の、大林宣彦と石上三登志による対談「『ゴジラのテーマ』の知られざる真実──映画的教養と伝統から成り立つ美談」について。
この対談記事の「知られざる真実」とは、伊福部昭による「ゴジラのテーマ」(『ゴジラ』第1作(1954)のタイトル曲)のルーツが柳家金語楼主演の喜劇映画『社長と女店員』(1948)であることを発見したというものだった。『社長と女店員』は名画座などでもまず上映されないような映画なのだが、一昨年の秋にCSの衛星劇場で放映された。それをたまたま見ていた石上三登志は金語楼の似顔絵を使ったコミカルなタイトル映像にゴジラのテーマがかぶさるのに仰天、友人の森卓也に電話をかけたのだそうだ。二人は「きっと気づいたのは、日本でわれわれ二人だけなんじゃないかと大笑いしました」という。森卓也は同じ旋律がサスペンス映画『蜘蛛の街』(1950)にも使われていることも見つけ、ここから大林と石上は、伊福部昭がまず『社長と女店員』でこの旋律を初めて使用し『蜘蛛の街』『ゴジラ』と使い回したが、『ゴジラ』があまりにも有名になったため以後は転用しなかったので、「ゴジラのテーマ」として定着してしまったのだろうと推測している。
では、どうしてそれが「映画的教養と伝統から成り立つ美談」なのか? 石上三登志はこの対談記事を発表することについて、映画評論業界の大御所である双葉十三郎に相談したのだそうだ。双葉は石上の話を聞いて、「それは美談だね」といったという。
石上 デリケートな問題なので、まず相談したんです。そしたら双葉先生がおっしゃるには、「ゴジラ」がなければ、せっかくの名曲が消えていただろうとね。そんな名曲を「ゴジラ」が救いとった……。
映画は一本だけで成り立っているわけではない。過去に名作も駄作も合わせて膨大な蓄積があって、その上で新しい映画が作られていく。そういう歴史を見通して映画を語る視座を、若い世代に伝えていかなければならない。それがこの対談記事の本旨だというのである。その主張自体は、映画好きなら誰しも異論のないところであろう。
だが、実は「ゴジラのテーマ」の旋律は、伊福部が戦時中から作曲を始め1948年1月に発表した純音楽作品「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲」(のち2度改訂され「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」と改題)にすでに使われている。『社長と女店員』の公開は同年の12月。つまりこの時点でもう流用なのである。『社長と女店員』ルーツ説は、「知られざる真実」どころか事実誤認でしかない。「ゴジラのテーマ」の旋律の正しい起源については、伊福部昭に関する研究書にはもちろんレコードやCDのライナーなどにも明記されており、ゴジラ/伊福部ファンにとってはほとんど常識となっている。たとえ知らなくても、「ゴジラのテーマ」についての記事を発表しようとするなら、まずこういった基本的な資料をチェックするべきではないのか。
だいたい伊福部昭は、純音楽でも映画音楽でも頻繁に旋律を編曲し直して使い回すことで有名なのである。ファンの間では、「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」に『キングコング対ゴジラ』でコングを空輸する場面の曲の一節があるとか、吉村公三郎監督の祇園を舞台にした女性映画『偽れる盛装』のタイトル曲は『サンダ対ガイラ』のメーサー殺獣光線車マーチそっくりだとか、意外なところで馴染みの旋律が顔を出すのを語り合い楽しむことが定着してから、もう四半世紀ほどになるぐらいだ。ゴジラ/伊福部ファンは、若い映画ファン層の中でも際立って「映画的教養と伝統」を楽しむことに親しんでいるというべきだろう。
もちろん『社長と女店員』についても、日本中で気づいたのが石上三登志と森卓也の二人だけだったはずがない。ネットを検索すれば個人のブログなどで驚きを報告している例は見つかるし、今はdat落ちして見られないが2ちゃんねるの懐かし邦画板の伊福部関連スレッドにも放映後間もなく書き込みがあって、私が『社長と女店員』のタイトル曲のことを初めて知ったのもその書き込みによってだった(ただし、CSは受信契約していないので、映画そのものは見ていない)。
なのに大林宣彦と石上三登志は、彼らが「発見」した『社長と女店員』のタイトル曲とゴジラのテーマの関係が、ゴジラ・ファンによって封殺されるのではないかなどというおよそ根拠のない危惧を表明している。そればかりか、視野の狭いファンに遠慮して伊福部昭がこの流用を隠そうとしていたとまでいうのである。
石上 (前略)二〇〇二年が東宝の七十周年で、引き出物が「ゴジラ」の限定ナンバー付きDVDでした。そこに収録されている特典映像が伊福部さんへのインタヴューです。当然のようにインタヴュアーはあの曲の創造の原典を聞きたがるんですが、本当に話しにくそうに回避していましたよ。
大林 ファンを傷つけたくなかったんでしょうね。日本の国の文化の貧しさですよ。「いやあ、あの曲は他の映画で二度も三度も試みていましてね」と話が自由にできたときに「ゴジラ」の映画の価値も増しますよ。
(中略)
石上 ファンにいいたいんだけど、伊福部昭さんを「ゴジラ」にだけ閉じこめていたらいけませんよ。
東宝創立70周年記念の限定『ゴジラ』DVDについては、私はネット上のどこかで(ネットオークションの出品だっただろうか?)情報として見かけたことがあるだけで実物を知らないのだけど、ソフトとしては一般販売されているDVDと同内容だったように記憶している。もしそうだとしたら、伊福部昭のインタビューには石上がいうような隠蔽の気配はまったく見あたらない。いや仮定を抜きにしても、あるはずがないのだ。前述の通り「ゴジラのテーマ」の起源については、伊福部の生前から何度も活字になっているし、伊福部自身が監修した「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」のCD[Amazon]の解説にも明記されているからだ。それに、伊福部が日本の純音楽作曲家としても映画音楽作曲家としても異例なまでにレコードやCD発売の機会に恵まれているのは、ゴジラおたくを中心にしたファン層が、特撮映画で馴染みの旋律を自在に変幻させる伊福部の作曲術を熱烈に支持してきたからなのである。対談の中で大林宣彦と石上三登志は、自分たちが『ゴジラ』を誹謗するはずがないと繰り返しているけれど、上に引用したような発言は、伊福部昭とファンの間で培われてきた絆を踏みにじる無思慮な言い草だといわれても仕方あるまい。
この対談でも大林宣彦自身「当時、一映画ファンとしてこの「ゴジラ」に接した僕は名作とも思わず、日本でも怪獣映画を作ったかぐらいの感じでした」といっているぐらいで、そもそもこの二人は『ゴジラ』を始めとする日本の怪獣映画には決して好意的ではないことで知られていた。石上三登志に至っては、積極的に批判を展開してきたといっていいほどである。もちろん、批判すること自体は何ら問題ではない。事実を踏まえ、論理的な整合性を保った上ならば、だが──。たとえば石上は、彼の代表的な『ゴジラ』論である「ゴジラ 未熟怪獣の白昼夢」(『吸血鬼だらけの宇宙船』所収)で、伊福部昭が『ゴジラ』に付したレクイエム風の音楽について「『海ゆかば』調のメロディ」と評しているのだけど、、『ひろしま』『ビルマの竪琴』といった日本映画史上屈指の反戦映画を彩った音楽のバリエーションに属することを踏まえた上でなのかどうか。いずれにせよ、「映画的教養と伝統」を重んじた評言とはとてもいえないだろう。
そういえば、自分が「ゴジラのテーマ」の出自を知ったのは、いったいいつのことだったか? そう思った私は、記憶を頼りにSF映画専門誌『スターログ』のバックナンバーを調べてみて、なんともやるせない事実に行き当たった。私の記憶にあった記事とは、『スターログ』1979年3月号(通巻No.5)の門倉純一による連載「SFサウンド」第5回「伊福部昭の世界その2」であった。門倉はこの連載第4回と第5回を費やして伊福部昭の国産SF映画での業績を振り返り、さらにゴジラ・ファンたちの熱烈な支持によって特撮映画のみならず、それまでほとんど顧みられなかった日本映画のサントラ盤までがようやく商業ベースに乗るようになりつつあることを紹介している。そして、「ゴジラのテーマ」の旋律が「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」からの流用であることにも言及していたのだ。
この門倉純一による伊福部音楽の紹介と同時期(通巻No.4、6)に、大林宣彦と石上三登志が関わっていたあるゴジラ関係の記事が『スターログ』に掲載されていた。当時ゴジラ・ファンの怒りを買った悪名高い絵物語「スペースゴジラ」である。大林宣彦と石上三登志の原案から平田穂生が脚本化し、大友克洋と白山宣之がイラストを付けたというこの絵物語は、糖尿病(!)で瀕死のゴジラが日本の海岸に漂着するというショッキングな場面で始まる。その脳から取り出した意識からゴジラがゴジラ星から飛来した知的生命体で名はロザンであることが判明、日本政府はゴジラの体をロケットに改造して打ち上げ(!!)、胎内に見つかった子ゴジラ・リリンともどもゴジラ星に返そうとする。ロザンはゴジラ星に辿り着き夫クーニンと再会を果たすも、母星はスフィンクスに似た女性ばかりの半獣人スネリアの侵略を受けており、成長したリリンと父クーニンは「怒ると、巨大なオッパイからは火を吹き、ヘソからはカギ十字の手裏剣が飛び、目からはクモの巣が吐きだされる」(原文のママ!!!)おぞましいスネリアのガモニ将軍と対決することになる──と、まるでゴジラのキャラクター・イメージを汚すためだけに作られたのではないかといいたくなるような代物なのである。まあ、後に本家東宝が作った『ゴジラVSスペースゴジラ』(偶然タイトルが共通するだけで、この絵物語とはまったく無関係)もたいがい頭の痛くなるような映画ではあったが……。
ともかく、大林宣彦と石上三登志がゴジラについての記事を発表しているのと同じ雑誌で同時期に、「ゴジラのテーマ」の起源についても伊福部昭とゴジラ・ファンとの間に映画的教養と伝統から成り立つ絆が形成されつつあることも、はっきり書かれていたのである。実に27年も前に、「ゴジラのテーマ」にまつわる真実は二人の目の前にあった。ところが彼らは、それを見ようともしなかったのか、あるいは見ても忘れてしまったらしいのだ。石上三登志は今回の対談の中で、「膨大な過去があることを踏まえず、自分に都合のいい部分だけでやっていると、オタクの落とし穴にはまってしまう」と警句を放っているが、それをまず心に留めねばならないのはいったい誰だろう? 大林宣彦のいうとおり、確かに日本の映画文化はまだまだ貧しいかも知れない。こんな対談記事が、映画関係のプロの仕事としてまかり通ってしまうのだから。日本の映画文化を貧しくしているのは、この二人のように自分のすぐ目の前にどのような文化が華開いているかを見ようともしない人々ではないのか。
【追記】
「ゴジラのテーマ」のほんとうのルーツ「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」に触れてみたい方には、伊福部昭自身の監修により作成されたCD「伊福部昭の芸術5 楽 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲」(キングレコード)[Amazon]をお勧めします。
【追記その2】(2007/01/18)
本文内に、主に映画データの関連リンクを埋め込んだ。そのついでに、我ながらあまりに文章がくどく長く感じていたので、ところどころ手直しして全体にスリム化を心掛けた(でも、まだまだくどい)。
なお、「ゴジラのテーマ」の旋律の起源については、「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」からさらに遡って、ラヴェルの「ピアノ協奏曲 ト長調」の影響を指摘する説もある。日本版Wikipedeiaの「伊福部昭」内の「誕生日とラヴェルの逸話」を参照。
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