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2013/07/15

フローレンス・スティーヴンソン『The Witching Hour/Kitty Telefair Gothic Series #1』

 前回の記事にも書いたとおり、現在のモダンホラーに至る流れは、スティーヴン・キングから突発的に始まったわけではない。すでに1960年代から70年代前半にかけて、相当な数のホラー長篇が続々と書き下ろされ出版される状況にはあったのだ。だが、これらはほとんどが廉価なペーパーバックとして世に出されたもので、作品の質もまた読み捨て扱いがふさわしい水準でしかないものが多く、これまでろくに研究の対象にされてこなかった。

 文学史はどのジャンルでも、後世まで読み継がれるような名作群を数珠つなぎに語っていくことで記述されがちである。しかし、実際に各時代のジャンルを支えていたのが、そのような時代を越えうる名作であるとは限らない。たとえば、モダンホラーに先駆ける戦前期の英米ホラー小説の巨匠として挙げられるのは、決まってH・P・ラヴクラフトである。したがって、いかにラヴクラフト風のホラーから脱したかという観点で戦後のホラー小説が語られていくことが、一つの通例のようになっている。ところが実際には、ラヴクラフトは生前にはまともな単行本を出版することもできなかったマイナー作家でしかなかった。現在の彼の名声は、死後の再評価によって得られたのものなのだ。

 そのころホラー系作品でベストセラーを生み出してジャンルを支えていたのは、ホラー小説史ではごくわずかな言及で済まされがちで、今ではほとんど読まれることもないデニス・ホイートリーのような作家であった。しかも、お世辞にも高水準とはいえない彼の作品群が作り上げた、大風呂敷なオカルト・アクション・スリラーという様式に着目すると、ホイートリーからジョン・ブラックバーンへ、ブラックバーンからこの3月に物故したジェームズ・ハーバートへと、現在のモダンホラーに直結していく流れが浮かび上がりさえする。そしてこの流れの中には、いまだ日本には邦訳どころか名前すら伝わっていない群小作家たちがおおぜいひしめいている。いうまでもなく、個々の作品を評価するときには、質的に厳密な判断が要求される。しかし、ジャンルの全体像を捉えようとするときには、作品の質にばかりこだわっていると見えなくなってしまうものが、非常に多いのである。

 こうしたモダンホラー史的観点から非常に興味深く、また質もそれなりの水準に達しているのに埋もれている作品に出会えたので、ご紹介しよう。フローレンス・スティーヴンソンの『The Witching Hour』(1971,Award Books)である。

Witching

 フローレンス・スティーヴンソン(Florence Stevenson,1922-91)は、殺されたネコが人間の女に生まれ変わって復讐するという奇妙なホラー長篇『Ophelia』(1968)でデビューし、ほかに5つもの筆名を用いてホラーやロマンス小説を量産した女流作家である(ここここに書誌があるが、いずれも完全ではない)。今回ご紹介する『The Witching Hour』は、女性心霊探偵を主人公にした「キティ・テレフェア・ゴシック・シリーズ」(Kitty Telefair Gothic Series)の第1弾で、シリーズは下記の全7冊である。

(1)『The Witching Hour』(1971)
(2)『Where Satan Dwells』(1971)
(3)『Altar of Evil』(1973)
(4)『Mistress of Devil's Manor』(1973)
(5)『The Sorceror of the Castle』(1974)
(6)『The Silent Watcher』(1975)
(7)『The Horror from the Tombs』(1977)

 シリーズの主人公キティ・テレフェアは、赤い髪に緑の瞳と、しなやかな肢体を持つ、26歳のアメリカ人女性である。テレフェア家は、オカルトに関する古今東西の広範な知識と種々のサイキック能力を代々受け継いでいる家系で、一族の者たちは素性を隠しつつも特異な能力を活かせる職に就いていた。実はテレフェア家のような家系は世界の方々にあり、キティはその一つであるキャスウェル家の青年コリンと婚約を結んでいる。コリンはテレビの深夜番組「The Witching Hour」のメインキャスターを務めており、キティはその番組中で超常現象専門のレポーターとして働いていた。婚約者コリンやテレフェア家の人々の助けを得ながら、キティはさまざまな怪異に立ち向かっていく。

「Witching Hour」とは、さまざまな化け物が這い出すような深夜のことを指すから、素直に日本語に訳すなら「丑三つ時」になるのだろう。しかし、ここではかなり違和感があるような……。ちなみに、アン・ライスに同題の長篇があって、そちらは『魔女の刻』という邦題になっている。本ブログでは原則的に未訳作品は題名を訳さないまま表記しているが、へたに訳すよりもそのままの方が、原題でネットを検索した場合にヒットしやすいだろうと考えているからである。

 その番組タイトルを冠した第1作でキティは、永遠の美貌と美声を保ち続けている女性オペラ歌手の謎に挑む。もはや老婆といってよい年齢なのに、若い娘のようなみずみずしさと張りのある歌声を保ち続けている世界的プリマドンナ、マダム・ジアニーニ。キティはコリンの番組の取材を通じ、マダム・ジアニーニと、彼女に弟子入りする予定の若き歌手志望者ペギー・オザンヌに出会う。ペギーには恋人テッド・ラトリッジが付き添っていたが、なぜかペギーの弟子入りを喜んではいない様子だ。それどころか、後日キティのアパートを訪れたテッドは、ペギーをマダム・ジアニーニの元から救い出して欲しいと頼み込むのだった。

……弟子入り候補を選別したオードウェイ博士は、ペギーを歌手ではなく発声器官としてしか見ていないようだった……ペギーは何かに取り憑かれたかのように人が変わり、マダム・ジアニーニ以外の何も目に入らなくなってしまった……弟子入り期間は1年間。その間、一切外部と連絡できなくなるとは、どういうことなのだろう?……

 テッドの証言にキティは、たしかに異常さを感じるものの超常的な何かが関わっているとは断言できないとして、ペギー救出の依頼を断ってしまった。ところが、その後キティは、伯母のアスタルテからとんでもない昔話を聞いてしまう。キティがまだ幼いころ、メロディ・ブレアという名のオペラ歌手志望の娘がテレフェア家に出入りしていた。メロディはペギーと同様にマダム・ジアニーニのところへ一年間弟子入りし――それきり失踪してしまった――!!

 上掲のとおり、本書は何とも扇情的なカバーアートに飾られているのだが、実際に読んでみるとそういう淫靡なシーンはまったくない。若くお転婆なヒロインのくだけた独白体で綴られる物語はむしろほがらかで健康的というべきで、怖さもほどほど。婚約者と少しいちゃつくシーンはあるけれど、生々しい性描写は一切なし。オカルト系の蘊蓄も、ほとんどない。全編の核心というべきマダム・ジアニーニの秘密の真相までもが、医学と心霊学の奇怪な混淆というべきけっこう大胆な大ネタに挑みながら、「とにかくそういうことをやってるんです!」程度で済まされてしまうのには面食らった。

 とはいえ、愛らしいヒロインのキャラ立てと起伏に富んだストーリーテリングを最優先する姿勢は、ホラー・ジャンルよりも娯楽小説の本旨に忠実なのだともいえよう。頭でっかちな重苦しさを嫌い、軽やかに駆け抜けていくように物語をまとめ上げてみせる作者の技量は大したもので、決して軽んじられるべきではないと思う。気軽に手に取れ、頭を使わずに楽しめ、さっと読み終えられるという、当時の読み捨てペーパーバックの目的にはこれで充分に適っているのである。

 さて、この愛すべき小品というべき一冊が、どうしてどうしてモダンホラー史的観点から興味深いのか?――キング登場以前のホラー小説史の隠れた鉱脈の一つとして、大量生産されていたロマンス小説のうち、超自然の領域に踏み込んでいる作品群がある。パラノーマル・ロマンスというサブジャンルがまだなかった当時、これらの超自然系ロマンス小説は、解明される超自然が主流であるロマンス小説の中に紛れ込む形で出版されており、いまだに全容は判然としない。

 フローレンス・スティーヴンソンは上述のとおり、ホラー小説とロマンス小説の両方で活動していた作家である。本書はカバーアートから判断するに、きっとホラー小説として出版されたのだろう。ところが、中身を読んでみると、ロマンス小説的な雰囲気もかなり濃い。キティはテレビ業界で働き華やかなセレブ女性と語らう機会の多い婚約者に「わたしのことをいちばんと思ってくれてるのかしら?」とやきもきしており、さらにシリーズの後半ではふたりの恋の行方が物語の焦点の一つになっていくのだという。

 さらに、キティがそれまでのロマンス小説に典型的な、過酷な運命に翻弄される女性などではなく、むしろ積極的に騒動の中に飛び込み、特殊な能力で解決してしまうヒロインであることにも注目されたい。ホラー小説とロマンス小説の両方を手掛けていたフローレンス・スティーヴンソンによって、オカルト・アクション・スリラーとロマンス小説は統合され、バトルヒロイン系パラノーマル・ロマンスの先駆が誕生した。本書を読み終えて、そんな瞬間を私は目にした気がしたのだ。

 もちろん、これはまだまだ単なる仮説の域を出ない。それを突きつめていくには、膨大な読み捨てペーパーバック・ホラーの暗い大河に潜り、ロマンス小説の大山脈に隠れる鉱脈を掘り探っていくしかないのである――。


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