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2010/03/31

2010年3月の読了書から

マーガニータ・ラスキ『ヴィクトリア朝の寝椅子』(新人物往来社)[Amazon]
 これは稲生平太郎=横山茂雄が『幻想文学』第10号に掲載の「不思議な物語」連載第1回で紹介していたもので、実に25年ぶりに彼自身の手でようやく邦訳された。
 まずは版元の内容紹介をそのまま引用してみる。

 「幸せな生活に満足していたメラニー。ある日、骨董屋で買ったヴィクトリア時代の寝椅子でうたた寝し目覚めると、1800年代にタイムスリップし寝椅子の元の持ち主であるミリーという女性になってしまっていた……」
 極端な言い方をすれば、この小説ではそれ以外何も起きはしない。ふつうのタイムスリップ物SFなら、ここが発端となってあれこれ冒険が──となるところだが、この小説にはそういう派手な展開は一切ない。主人公は何が起きたかを知り、ただ戸惑うばかりなのである。では、退屈な話なのかというと、まったくの正反対。これほど手に汗握るスリルと恐怖を味わわせる小説は、ちょっとない。
 考えてもみてほしい。もし、こんなことがほんとうに自分の身に起きたら、どれほど恐ろしいかを。たいがいのタイムスリップ物がさほど恐ろしくないのは、本来異常きわまりない事態なのを、よくある趣向にすぎないという認識で書き流しているからに過ぎないのだ。一切の妥協無しに本気で向き合えば、どれほど恐ろしいか? その答えがここにある。本ブログを読まれているような方ならば、決して読み逃すべきではない、超自然小説の傑作である。

辻原登『抱擁』(新潮社)[Amazon]
 二・二六事件の衝撃がまだ生々しいころの東京を舞台に、旧加賀藩主前田侯爵の邸宅に小間使いとして奉公することになった若い女性が、まだ5歳の令嬢に何ものかが取り憑いているらしいことに気づき……という心霊小説。ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」へのオマージュとして書かれたそうだが、「ねじの回転」でこの世ならぬ悪の象徴であった園丁が死霊ではなく生身の人間で現れ、しかも現世のつまらなさを体現するとことん俗っぽいキャラに改変されていたのにはびっくり。幽霊は前任の小間使いのみなのである。主人公がある計略を用いてこの霊が邪悪なものかどうか見極めようとするクライマックスはそれなりに緊張感ある見せ場になっていたものの、全体に「どこが『ねじの回転』?」という異和感は拭えなかった。
 ご存知のとおり「ねじの回転」は、幽霊について詳述せず読者自身に想像させる朦朧法を用いているために、読者によって見方が大きくぶれることがある。どうやら、この本の著者と私とでは、見ているものがぜんぜん違うらしい。

京極夏彦『冥談』(メディアファクトリー)[Amazon]
 メディアファクトリー編集部からご恵贈いただきました。ありがとうございました。
 怪談専門誌『幽』に連載されていた短篇シリーズに、書き下ろし2篇を追加した怪談集。収録作は下記の通り。

(1)庭のある家
(2)冬
(3)風の橋
(4)遠野物語より
(5)柿
(6)空き地のおんな
(7)予感
(8)先輩の話

 著者は「怪談は難しくて書けない」と常々公言しているようだけど、この本が怪談集ではないなんていうと、世の中の怪談のほとんどは怪談ではなくなってしまいそうな気がする。椿→打ち首→潰れる頭という惨死のイメージの連関により不条理な怪異に斥け難い説得力を持たせている(1)や、幽霊そのものはほとんど語らずに幽霊を見るに至った人間の心の揺れ動きを執拗に追い続けることにより朦朧法の怪談でありながら曖昧さを感じさせない(6)などは、むしろ怪談のお手本というべきだろう。優れた怪談を支えるのはオカルト的な理屈付けよりも、心理的な整合性なのである。


吉村正和『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』(河出書房新社)[Amazon]
 19世紀後半英国の心霊主義と、当時の科学・宗教・思想・芸術との関わりを概説したもの。現代人の目で見ると心霊主義は宗教にすぎないのだが、当時の西欧社会では革新的な科学思想と見なされ大きな影響を及ぼした。オカルト史での位置や心理学との繋がりはともかく、社会主義的改革思想や田園都市建設運動との関係についてまではよく知らなかったので、興味深く読んだ。
 専門書ではなく一般向けの新書であり解りやすく書かれているが、心霊主義の影響力を見るという主旨なので心霊主義そのものについての記述はかなりあっさりしている。心霊主義に不案内な方は、先に心霊主義についての概説書を何か読んでおいた方が、より理解が深まるだろう。

ナサニエル・ホーソン『ブライズデイル・ロマンス 幸福の谷の物語』(八潮出版社)[Amazon]
『心霊の文化史』を読んで、5年前に購入してから未読のまま放置していたこの本のことを思い出した。ホーソン自身が参加したユートピア的共同体「ブルック・ファーム」での体験を元にした長篇で、心霊主義やメスメリズムも語られているというのである。しかし、実際に読んでみるといろいろと物足りなかった。
 この小説は、主人公である詩人カバデイルの回想の形で、ボストン郊外ブライズデイルに作られた共同体での出来事が語られる。カバデイルはブライズデイルの中でも、犯罪者の厚生施設を兼ねた共同体を作ることを夢見ている博愛主義者ホリングズワスと、裕福で蠱惑的な女傑ゼノビアという2人のメンバーと特に親しくしていた。ところが、ブライズデルに霊媒の少女プリシラが迷い込み、さらにプリシラを追ってゼノビアの前夫で催眠術を操るウェスタベルトが現れる。物語は、この5名の入り組んだ確執を描くことにほぼ終始している。ブライズデイル共同体がどのようなものなのかはくわしく語られないし、心霊主義やメスメリズムとの関連についても掘り下げられることはないので、そういう興味を持って読んでも失望するばかりであろう。
 そもそも主人公は共同体の主旨に懐疑的な様子で、ろくに活動に参加もしない。さらに彼は、ホリングズワスのことも目的のためには他を省みない偽善的なエゴイストと見なしていて、ゼノビアとプリシラがホリングズワスに惹かれていくのを妨害しようと躍起になる。まるきり冷笑的な傍観者で、なんとも共感しがたい人物なのである。本書はホーソンの長篇の中でも、特に邦訳に恵まれていないらしいのだが、これでは仕方ないかも。

『SFマガジン』2010年5月号(早川書房)[Amazon]
 特集が「クトゥルー新世紀」ということで、以下のような内容だった。

(1) チャイナ・ミエヴィル「細部に宿るもの」
(2) ベンジャミン・アダムズ「リッキー・ペレスの最後の誘惑」
(3) F・グウィンプレイン・マッキンタイア「イグザム修道院の冒険」
(4) エリザベス・ベア「ショゴス開花」
(5) 竹岡啓「クトゥルー新世紀概説」
(6) 中村融「特集解説」

 私も二十歳代のころまではクトゥルー神話に熱中したものだが、最近はほとんど追い切れていない。2001年以降の海外の動向を解説してくれた(5)は大いに役立ちそう。小説では、第二次大戦間近の緊張した世相を背景にショゴスの生態研究と人種問題を絡めた(4)が群を抜いておもしろかった。シャーロック・ホームズ物に仕立てた(3)は、ありきたりでむしろ感覚が古いのではないかなあ。

STUDIO28編・著『モンスターメイカーズ』(洋泉社)[Amazon]
 ストップモーションアニメを中心に書かれたアメリカ怪獣特撮史。2000年に出たものを2005年に増補改訂したもので、旧版は新刊時に読んでいたのだが、増補版が出ていることに最近まで気づかなかった。この本は、ストップモーションアニメからCGに至る怪獣特撮の流れに限れば、日本語で読めるものの中では最高の文献資料である。ただ、その他の怪獣特撮の手法に関しては、ずいぶん簡単に済ませてしまっているのが惜しい。私にとってはハリボテも着ぐるみも実物の生きものの大写しも、怪獣はみな怪獣であり、等しく愛おしい。いつの日か、真に総合的に怪獣特撮史をまとめた本が現れてくれることを、願わずにはおられない。

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