『見霊者エイルマー・ヴァンス』
英米には古典怪奇小説の復刊に熱心な版元・叢書が複数あるが、中でも飛び抜けた廉価で目を引くのがWordsworth Editionsの「Mystery & the Supernatural」シリーズである。ページ数に関係なく1冊2.99ポンドという値段設定で、たとえばAmazon.jpでの取扱価格だと500円+税。最近出た『吸血鬼ヴァーニー』なんて1166ページもあってまるで辞書のようなのに、この安さ。実際読むかどうか迷うより、とりあえず買っとけ! といえる値段である。ラインナップについては、版元のホームページで左上の「Select A Book Category」というプルダウンメニューから「Mystery & Supernatural」を選べば著者姓のアルファベット順に見ることができる。定番の名作から知る人ぞ知るマイナー作まで他種多彩。高額な古書や少部数の復刻本でしか手に入らなかったものもあり、まことにありがたい。
そういうわけで、私もとりあえず買っておいたものが読みもせず溜まってきている。そこで一番薄い本から挑戦しようかと、アリス&クロード・アスキュー(Alice & Claude Askew)という聞き覚えのない作家の心霊探偵物『見霊者エイルマー・ヴァンス』"Aylmer Vance:Ghost-Seer"[Amazon]全127ページを読んでみた。これが予想を上回る良作だったので、ご紹介しよう。
この本は、アマチュア心霊研究家エイルマー・ヴァンスを主人公にした連作短篇集である。収録作は以下のとおり。
(1) The Invader
(2) The Stranger
(3) Lady Green-Sleeves
(4) The Fire Unquenchable
(5) The Vampire
(6) The Boy of Blackstock
(7) The Indissoluble Bond
(8) The Fear
1998年にAsh-Tree Pressからも500部限定で刊行されていて、その時にはジャック・エイドリアンによる序文解説があったそうなのだが、徹底した廉価版の本書には裏表紙にかんたんな概要紹介があるばかり。仕方ないのでネットで検索して調べてみたところ、著者は1900年代の初めに夫婦で合作を発表していた大衆小説作家とのこと。代表作とされるものに、南アフリカの農園を舞台にした男女の愛憎劇『シュラムの女』"The Shulamite"(1904)がある。これはかなり評判になって演劇や映画にもなり、映画版『銃口に立つ女』(1921)は日本でも公開されている。しかし、現在ではネット上でも本書のほかはほとんど話題にされることがないようで、忘れさられかけている作家らしい。エイルマー・ヴァンスのシリーズは、1914年に『The Weekly Tale-Teller』という雑誌に連載されたもので、1冊にまとめて出版されるのはAsh-Tree Press版が初めてだった。アスキュー夫妻が書いた超自然小説は、これきりだという。
このシリーズは、シャーロック・ホームズ物に倣って心霊研究家ヴァンスの友人デクスターが語り手に設定されており、(1)~(3)はサリー州の保養地でヴァンスに出会ったデクスターが、ヴァンスと交流を深めつつ過去の体験談を聞きだすという形式になっている。(1)は、妻を霊媒にした降霊実験にのめり込んだ男が霊に横恋慕され、妻の肉体を乗っ取られるという話。(2)はナチュラリストの家庭に育った娘が森の中で太古の神々の眷属に出会い、恋に落ちたことから始まる悲劇。(3)は可憐な少女の霊とヴァンスとの淡い恋物語。
(4)からがデクスターもリアルタイムに怪事件に遭遇する話になっていて、夭折したアマチュア詩人の妻が自動筆記を用いて夫の作品を再現した手稿に触れたことにより、デクスターはサイコメトリー能力に目覚める。そして、吸血魔女に呪いを掛けられた一族の事件を描いた(5)以降、彼はヴァンスの助手として活動するようになっていく。(6)では酷薄な領主に惨殺された間男の霊の伝説がある館でのポルターガイスト騒動に挑み、(7)では自分にしか聞こえない音楽に縛り付けられている娘の謎を追う。(8)は、理由のわからない「恐怖」そのものが館の中を這い徊り住人を襲撃するという異様な事件を、真に迫った筆致で描いている。
題名の"Ghost-Seer"という言葉に著者がどれほどこだわりを持っていたかは不明だが(Ash-Tree Press版で初めて付された可能性もある)、作品の内容には実によく合っている。ヴァンスは怪事件を調査して何が起きているかを明らかにはするが、かならずしも解決しないからである。といって、彼が無能だというわけではない。そもそも現実に超常的な現象が起きたとして、人間の力でそうやすやすと止められるはずもない。心霊探偵物は事件の解決にこだわるあまり珍妙なアイテムや魔法的手段に頼った結末になっていて鼻白まされることもよくあるが、このシリーズはそうした安易なご都合主義を排しているのである。
怪奇専業の作家ではないだけにオカルト的な解説に必要以上に深入りすることがなく、むしろ怪異を呼び起こす人間の情念を丹念に拾いつつ、事件を解説するのではなく描写することに専念する姿勢を採っていることも、リアリスティックな雰囲気を高める効果を挙げており、読者はヴァンスとともに奇怪きわまりない霊たちの跳梁をまざまざと「見る」ことになる。そして、ハッピーエンドのカタルシスを放棄した代償として、衝撃的な結末とともに、怪奇小説の本分というべき超自然の力に対する深い畏怖の念が浮かび上がってくる。
まだまだ数多い未訳の怪奇小説の中には「これは訳されないのも仕方ない」と思わせるものも少なくないのだが、本書は初期の心霊探偵物の忘れられた可能性の一つというべき佳作であり、邦訳されていないことが惜しまれる。平易な文体で綴られており分量も手頃なので、興味を持たれた方はぜひ原書に挑戦してみて欲しい。
【2015年12月27日追記】
本書は2015年12月にアトリエサードの〈ナイトランド叢書〉より、『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』[Amazon]として邦訳刊行された。訳者は田村美佐子氏で、ヴァンスとクロードが友情を深め合いながら超常現象の深甚な世界に分け入っていく姿を、情感豊かに日本語に移している。ぜひともご一読いただきたい。
また、私はその間に、Ash-Tree Press版の"Aylmer Vance:Ghost-Seer"(1998)を入手することができた。そして、同書のジャック・エイドリアンによる序文によって、私が元記事に「アスキュー夫妻が書いた超自然小説は、これきりだ」と書いたのが誤りであることが判ったので、以下訂正させていただく。
エイドリアンによるとアスキュー夫妻はもう一作、"The Devil and the Crusader"という超自然小説を1909年に書いているという。悪魔と契約を交わした男を主人公にしていて、最後は悪魔に扇動されたロンドン市街の群衆によって殺されてしまう結末とのこと。エイルマー・ヴァンスの連作と較べると、寓意の強い道徳的な作品なのだろうか? 情報を求めてネットを検索してみたが、どうやら稀覯書になっているらしく、それ以上は何も判らなかった。
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コメント
あ、『ヴァーニー』出てたんですね、買っときます! (勿論ご紹介の『エイルマー・ヴァンス』も興味湧いたので^^;) 情報感謝!
投稿: natsuki | 2010/03/03 06:41
『ヴァーニー』、Amazon.jpでは718円に値上がりしてますね。ハーヴェイの『五本指の怪物』は475円に値下がりしてるし。版元の定価は変わってないのに、なぜだろう?
『ヴァーニー』は知名度が高いので、各社から復刻が出てますよ。Wordsworth Editions版は廉価版なので挿絵がありませんが、他社で挿絵付き版もあったような気がします。
Wordsworth Editionsは、同じくペニー・ドレッドフルの『人狼ワグナー』"Wagner the Werewolf"も復刻していています。こちらは今は他社では買えないかも。
投稿: 中島晶也 | 2010/03/03 08:32