2010年2月の読了書から
恩田陸『私の家では何も起こらない』(メディアファクトリー)[Amazon]
小さな丘の上に立つ幽霊屋敷を巡る連作短篇集。怪談専門誌『幽』に連載したものに、巻末の一篇が書き加えられている。屋敷に係わった人々の回想の物語がジグソーパズルのように組み合わさることで、怪異と惨劇が繰り返されてきた屋敷の来歴が朧気に浮かび上がってくるという、精緻な語りの技巧が楽しめる。
著者はモダンホラー以前のゴースト・ストーリーへの思い入れを込めてこの連作を書いたというのだが、そのような過去への郷愁がベースになっているためか忌まわしい恐怖感はほとんどなく、むしろ優しく暖かい雰囲気すら漂っている。だが、扱っている事件そのものは悲惨極まりないので、ジェントル・ゴースト・ストーリーというのともまた違う。怪談そのものではなく、怪談への憧れを描いた幻想小説というべきか。
小林泰三『セピア色の凄惨』(光文社文庫)[Amazon]
4枚の色褪せた写真を手にして探偵事務所を訪れた女性が、行方の知れない親友の調査を依頼する。この依頼人と探偵の対話と、探偵の調査報告が交互に綴られた、連作形式の長篇スリラーである。
どういうわけか探偵は、写真に一緒に写っているほかの友人たちが偏執的な行動の果てにグロテスクな末路を遂げる有様を次々と女性に報告するばかりで、かんじんの親友の行方をいっこうに調査しようとしない。探偵が報告する惨劇の数々は、著者の人の悪さがにじみ出たほんとうにイヤな痛い話ばかりなので(誉めているのですよ)、心優しい読者諸氏は覚悟されたい。
憤慨した依頼人は探偵を問いつめるが、その都度のらりくらりとした言い逃れにはぐらかされてしまって、延々とイヤな話を聞かされ続ける。冷静に考えればあり得ない状況なのだが、微妙に話題がずれ続けて噛み合うようで噛み合わない対話がそれを隠し続け、悪い夢を見ているような気分に読者を陥れるのである。小説ならではの高度にアクロバティックな仕掛けといえよう。
ところが、著者は探偵に「わたしは終始正しい事を言っています。もし間違っているというのなら、論理的に反駁を試みてください」と言わせてしまった。残念だがここを読んだ瞬間に、私はすっかり夢から覚めて探偵の論理の粗を見るようになってしまったのである。そうなるともう、この小説の仕掛けは成立しなくなる。この一言が無ければ気持ちよく騙され続けたかも知れないのだが、まことに惜しい瑕瑾である。
飴村行『粘膜蜥蜴』(角川ホラー文庫)[Amazon]
『粘膜人間』で第15回日本ホラー小説大賞長篇賞を受賞しデビューした作家の第二作。現実とはちょっとずれた太平洋戦争中の軍国日本を舞台に、権力を傘に暴君のように振る舞う小学生の乱行と、蜥蜴人間が棲息する南方戦線のジャングルの物語が奇怪に交錯する、グロテスクかつスラプスティックなホラー長篇である。
世評の高い作品だが、私はたいへん失望した。どうしてこんな、モラリスティックなぬるい結末にしてしまったのだろう? 悪の敗北で終わるにしても、たとえば『ヴァセック』などは悪漢同士が罵り合いながら地獄の業火に焼かれていったものだ。これではピカレスク・ロマンとしては、デビュー作より後退しているといわざるを得ない。まさかそんなことはあるまいと思うが、ひょっとして本気でモラルを問うているのだろうか? だとしたら、直接手を下さずに人を殺している罪が見逃されているのは納得できない。どちらにしても、中途半端ではないか。
物語の大きな焦点の一つになっている少年暴君の失踪した母親の行方を巡る仕掛けについても、この私でもおおよそ見当が付いたぐらいだから、本格ミステリを読み慣れている読者ならかんたんに見抜くのではないだろうか。また、ネタバレになるのではっきり書けないけれど、母親があそこにいたのならこういう事態にはなり得ないのでは? と疑問に思う箇所もあった。それとも、母も所詮は息子と同じく悪人だったということなのだろうか。
さらに些細なミスというべきかも知れないけれど、南方のジャングル探険パートで現地の大権力者の護衛が新米将校が率いるわずか3名だけで案の定窮地に陥るとか、イギリスの戦艦に「レオパルド」とドイツ語の名前を付けたりしているのも気になった。『粘膜人間』は現実とほとんど無縁の夢想のような物語だったが、今回は現実の戦争をベースに幻想を加味して当時の日本の帝国主義を揶揄しているだけに、こういうディテールの詰めの甘さも気になってしまう。遊びなら遊びで、もっと本気になって欲しいのである。
少年暴君に仕える蜥蜴人間の奇妙なキャラクターや、巨大な食人虫が蠢く地獄のようなジャングルの描写などは魅力的で、著者が非凡なセンスの持ち主なのは間違いない。だが、だからこそもっと高みを目指して欲しいと私は思う。
倉阪鬼一郎『恐怖之場所 死にます』(竹書房文庫)[Amazon]
独自に拾集した実話をベースにしたという怪談集。著者自身が枠物語の主人公となって、謎めいた美人不動産業者から彼女が扱った物件にまつわるエピソードを小説化したものを次々と読まされるという、倉阪らしく凝った構成になっている。
内枠の物語は全体にニューロティックかつナスティな傾向が強いが、一方で直接的な描写を避けた静謐な怪談もあったり、怪談ならぬ猟奇スリラーまであって、バラエティに富む。いずれも著者独特の味付けをふんだんに施した上で小説化されており、原形の実話を推測することすら難しい。あくまで小説集として楽しむべき本だといえよう。外枠を構成する著者と不動産業者の対話は、創作メモあるいは怪奇小説談義としても読める。
ちなみに作中で紹介されている、事件・事故物件を一旦所有名義を変えることで説明の要なしとする手口はかつて実際に横行していたようで、事情を知らずに買わされてしまった人もいるのだろう。しかし、この手口は法律で有効と規定されているわけではなく悪質な業者間で慣習的に行われていただけで、消費者契約法まで施行された現在ではまず通用しない。
ただし、幽霊物件となると話は別で、現実に存在しないものについてはそもそも説明の義務がない。もし仮に物件に幽霊がいたせいで被害にあったとしても、賠償を求めるなら幽霊の実在を証明してみせなければならないのである。そんなことができたなら、家の一軒や二軒失ったって気にしなくていいほどの大金持ちになれることだろうが。
森真沙子『熱域─ヒートゾーン─』(小学館文庫)[Amazon]
新刊時には見逃していたもので、巻末解説に人体自然発火現象を扱ったミステリーとホラーの境界領域の長篇だとあったので読んでみた。激しいヒートアイランド現象に見舞われている、近未来の東京。警察に追われて転倒したバイクが、ライダーから炎を発して燃え上がるという奇怪な事件が起き、死亡したライダーの姉である気象予報士が事故の真相を追う。
発火の原因については一応合理的な仮説を提示しつつ、主人公が勤める気象予報会社と弟の生い立ちの背後に政治的な陰謀が浮かび上がるという社会派推理的な展開を見せていき、全体としてはSFがかったミステリになっていた。人体自然発火現象については話の枕に使っている程度で、ホラー的なおもしろさはほとんどない。あくまで手堅くまとめられたサスペンス小説として、一読の価値はあるだろう。
『カルティキ/悪魔の人喰い生物』(オルスタックピクチャーズ)[Amazon]
これは書籍ではなく、DVDソフト。メキシコの古代遺跡の中にある湖から、伝説の人喰い怪獣カルティキが姿を現し大暴れするという、1959年のイタリア映画。菊地秀行が『怪奇映画の手帖』(アトリエOCTA)の中で熱く語っていたので、国内版DVDが発売されるのを心待ちにしていた方も少なくないのではないか。
しかし、未公開のSF/ホラー映画には「憧れのままでいた方がよかったね」というしかないものも多く、残念ながらこの映画はその典型。何しろ、巨大な不定形生物であるカルティキはまるで雑巾に生ゴムを塗りたくっただけみたいな造形で、中に手を入れてゴソゴソやってるだけなのがはっきり判るというような代物。クライマックスでは戦車隊が出てきて「怪物を火炎放射で焼き払え!」となるのだが、戦車のミニチュアすら作っておらず市販のオモチャを使っている。砥石が仕組まれていてパチパチ火花を発するあれだ。無名時代のマリオ・バーヴァが特殊撮影を担当しているというのだが、とにかくしょぼい。遺跡の不気味なムードとか見るべきところもないではないが、過剰な期待を抱かずに接することをお勧めする。
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