2009年9月の読了書から
雀野日名子『チャリオ』 (角川ホラー文庫)[Amazon]
10年以上も前に神隠しに遭った少年の自転車が帰ってきて、少年と係わった人々を次々と襲う。崩壊した家族を巡る物語で「泣けるホラー小説」という惹句が付けられているものの、それにしては自転車の犠牲になる人たちが殺されねばならないほど悪いようには思えないのが難。また、奇抜な擬音や擬態語を考案して多用しているが、凝りすぎで逆にイメージしづらくなっているように思う。ともあれ、お化け自転車などという無茶なアイデアを何とか形にしているのは立派。
飴村行『粘膜人間』 (角川ホラー文庫)[Amazon]
第15回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。徴兵制度があり忌避者は家族ぐるみ非国民として虐待される架空の日本を舞台に、子供たちと河童が血と精液まみれの死闘を繰り広げるという、型破りなエログロホラー。「細けえことはいいんだよ!」と言わんばかりの無闇なパワーは評価するが、視点の変わる三部構成の第二部が凡庸かつ単調なのがつらい。うまく整理して、全編に疾走するような勢いを持たせて欲しかった。作者の実力が問われるのはこの後だが、第二作は『粘膜蜥蜴』だそうで……。
草川隆『悪夢への鎮魂曲(レクイエム) 』(ソノラマ文庫) [Amazon]
少女漫画家を目指しているヒロインには、好意を持った男性の心を朧気ながら読み取る超能力があった。担当編集者に一目惚れした彼女は、彼の心に浮かんでいた湖畔の洋館を舞台にした漫画でデビューするが、そのために恐ろしい犯罪に巻き込まれる。1970年代に流行ったゴシック風ロマンス小説に、怪奇SF的なアイデアを加味した長篇。ヒロインが描くマンガもゴシック風ロマンス+SFで、著者はそれなりにこのアイデアに自負するところがあったらしい。とはいうものの、超能力についてはほとんど掘り下げられず、あくまでロマンス小説。しかも、24年前の本にしてもひどく感覚が古くて、二十歳そこそこのヒロインが「よくってよ」なんて調子の言葉遣いでしゃべったりする。
ジョン・ブラックバーン『刈りたての干草の香り』 (論創社) [Amazon]
冷戦時代のソ連に発生した女性の身体を侵食するキノコが、恐ろしい勢いで繁殖して世界を破滅の危機に陥れる。著者の処女作(1958年)で、邦訳中ではもっともストレートなSFホラー──って、『闇に葬れ』についても同じようなことをいったけれど、こっちの方がもっとシンプルにSFホラーなのである。やはり処女作だからだろうか? これを読んでもジャンルミックスという読者は、素人が活躍することが多いアメリカ系SFホラーに馴染んでいるせいで、こういう非常事態には公安系のプロが主体になるのが当たり前なのを見落としているのではないかと、ふと思った。謎解きの過程がやや安易なのが惜しいが、キノコ人間のおぞましさとスピーディかつシニカルな語り口が心地よい佳作である。
荒山徹『十兵衛両断』 (新潮文庫)[Amazon]
『柳生武芸帳』的権謀術数劇の舞台を朝鮮半島にまで広げ、さらにオカルトを加味して柳生新陰流と朝鮮魔術の死闘を描いた連作短篇集。敵も味方も腹に一物ある人物ばかりの殺伐とした雰囲気と、荒唐無稽の極みというべきスケールの大きな奇想の数々を平然と史実に取り混ぜて語る手際が魅力的。
谷口基『怪談異譚―怨念の近代』(水声社)[Amazon]
怪談を、近代国家日本の形成過程で抑圧された人々の怨念の表出と捉えた通史。よくある着眼だが、明治から戦前に掛けての無名の怪談本をいくつも新発掘して丹念に読み解く姿勢にはたいへん感心させられた。一方で、戦後パートはやけに粗雑なのが非常に惜しい。特に、終戦後まもないころに久生十蘭や吉屋信子、豊島与志雄らが戦禍を主題にした心霊小説の名作をいくつも生んでいるのに、すべて無かったことにされているのはいったい何ごとだろう。著者にはより広い視野に立った続編をぜひ期待したい。
石井明『円朝 牡丹燈籠―怪談噺の深淵をさぐる』(東京堂出版)[Amazon]
円朝の「怪談牡丹燈籠」が、どのような文化的背景の元で、どのような先行作品を素材に練り上げられていったかを綿密に考証した好著。驚くような卓見はないが、複雑に入り組む話題をよく整理して読みやすく書かれており、今後の研究における基本図書の一つになるのではないだろうか。
竹内博『元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年』(実業之日本社)[Amazon]
東宝・円谷系特撮の研究の基礎を固めた人物による回想録。特撮の現場に携わった人々や、後にプロのライターになっていくファンダム仲間との交流が熱っぽく語られており、興味深かった。ところが、文体が妙に散漫でどうも読みにくい。もともとかっちりした文を書く人という印象があって、併録されている過去の文章とはずいぶん差があるのだが、いったいどうしたのだろう?
保阪正康『本土決戦幻想 オリンピック作戦編 昭和史の大河を往く 第七集』(毎日新聞社)[Amazon]
昭和20年8月15日で終戦せずに本土決戦が行われたらどうなったかを、検証しようとしたもの。日本には戦争を続けられるだけの兵器も物資も食糧すらなく、終戦は必然というのが戦後の常識であるが、軍の継戦派は天皇に反逆してでも戦争を続け国民全員に特攻で散ることを強いようとしていた。あまり知られていない戦争末期の日本が孕んでいた狂気を、丹念に取材し浮き彫りにしている。分量が少なく全体に薄味だが、その分一般読者にも読みやすいだろう。おもしろく、恐ろしい本だった。
保阪正康『本土決戦幻想 コロネット作戦編 昭和史の大河を往く 第八集』(毎日新聞社)[Amazon]
上記の続編。もし、昭和21年3月に米軍の関東上陸が実施されていたら? 戦う余力などない現実が見えない日本軍指導者たち、個人的野心から作戦をごり押していたマッカーサー、混乱に乗じて北海道を狙うソ連……。昭和20年8月15日に終戦していて本当によかったとつくづく思った。何より恐ろしいのは、本土決戦なる幻想が生まれたのは時代の流ればかりではなく日本の国民的特性によるところが大きいことで、我々は何よりもそれを先の大戦から学ぶべきなのだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント