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2009/03/10

『都会の怪異七時〇三分』

 恐ろしく遅れていた『日本幻想作家名鑑』あらため『日本幻想作家大事典』(3月30日追記:こちらもまだ仮題であり確定ではないとのことです)の作業は、先月半ばでようやくすべての原稿の入稿が完了し、あとは校正作業を残すのみとなった。ようやく一段落という感じである。ところが、ぼんやりテレビ雑誌を眺めていたら思いもよらない映画の題名を見つけ、びっくり仰天──というよりもう血の気が退いた。何と、「フィルムが現存しない」と原稿に書いた牧逸馬原作のホラー映画『都会の怪異七時〇三分』(1935)が、CSの衛星劇場で放映予定されているではないか! しかも、気づいたのは3月2日の昼で、放映予定は3月3日の朝──。

 文献でもネットでも実物を見たという話をまったく見掛けないので、てっきり現存していないと思いこんでいたのだが、最近発見されたのだろうか? 事実と違うことを書いていたのでは話にならない。私はCSの受信契約をしていないので、大あわてでスカパー!e2の加入者である父に頼んで衛星劇場の視聴手続を取り、石堂藍氏には原稿の訂正を申し入れた。さすがに3月3日の放送には間に合わなかったものの、3月9日の再放送を見ることができた。

『都会の怪異七時〇三分』は、牧逸馬の絶筆である怪奇小説「七時〇三分」を、東宝の前身の1つであるP.C.L映画製作所が小林勝の脚色と木村荘十二の監督により映画化したものである。悪魔めいた怪老人から翌日の夕刊を手に入れ未来を知った男が運命を狂わされるという、当時の日本映画にはちょっと珍しい題材を扱っているのだが、原作そのものがイギリスの作家ホロウェイ・ホーンの短篇"The Old Man"の翻案であった。どういうわけか、牧逸馬はまず「競馬の怪談」としてこれを翻訳し、さらに翻案までしている(詳しくはこちらのサイトを参照)。幸い、どちらも論創社の『牧逸馬探偵小説選』[Amazon]に収録されており、読み比べることができる。

 ホロウェイ・ホーンはどうやら怪奇専門の作家ではないらしいが、詳しいことは判らない。また、私の手元には"The Old Man"の原文もないので、「競馬の怪談」がどの程度厳密な翻訳なのかも判らない。ともあれ「競馬の怪談」は、競馬を利用した詐欺を生業にしている男がロンドンの街角で見知らぬ老人から翌日の夕刊を手に入れ競馬で大もうけするが、同じ新聞に自分の死亡記事を見つけてその通り頓死してしまうという筋を、さらりと書いた掌編である。それに対して「七時〇三分」は、主人公を財界の裏情報を扱う企業の社員に変えた上で、彼が競馬の元手を得るために深夜に質屋に押しかけたり明日逮捕されるはずの強盗犯人を襲って上がりを横取りするといったエピソードを付け加え、欲に駆られた男がドタバタする姿を牧逸馬が特異としたユーモア小説の筆法を用いて描いている。純粋に怪談として楽しむには、こうした牧の工夫はいささか蛇足にも感じられる。

 映画版『都会の怪異七時〇三分』は、わざわざ「都会の怪異」と角書されているだけあって、賑やかな雑踏と人気のない暗がりが入り混じる都市空間の不気味さを強調した作りになっており、ビル街の様子や乗り合いバス、競馬場といった1930年代の東京の風俗も楽しめる。さらに、原作のユーモラスな味わいはほぼ捨て去られており、主人公は愛人を妊娠させており大金を必要としているという設定が付け加えられたり、原作では強盗を締め上げて気絶させただけらしいのが映画でははっきり殺してしまっており「どうせヤツはクズだ。構うものか」とうそぶく等、むしろ全体にニューロティックな脚色・演出が施されていた。自分の死亡記事を目にしてからのクライマックスが単調であったりぎごちないところは多々あるものの、公開当時の日本で主流だった時代物の怪談映画とははっきり一線を画した現代的な恐怖感は注目に値する。

『白髪鬼』(1949)や『鉄の爪』(1951)といった戦後まもなくの大映怪奇路線よりもずっとよくできているし、1930年代のユニバーサル産怪奇映画のシリーズにだって、リアリスティックな雰囲気醸成では上回っているのではないだろうか。さすがに『私はゾンビと歩いた』(1943)等のヴァル・リュートンのホラー映画には及ばないが、あれは1940年代だし……と、日本のみならず世界のホラー映画史に思いを馳せさせるような映画だったのである。これが特に評判にもならず埋もれてしまっており、追随する作品も現れなかったというのは、やはり早すぎた試みだったのだろうか。

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