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2006/11/08

『闇に葬れ』

ジョン・ブラックバーン『闇に葬れ』(論創社)[bk1][Amazon]
 ジョン・ブラックバーンは、スティーヴン・キング登場以前のモダンホラーの先駆者とされる作家の一人であるが、ホラーの通史などで触れられることはさほど多くなく、その作品もイギリス本国ですら新刊では入手できない状態が続いている。日本ではたまたま1970年代に『薔薇の環』『リマから来た男』『小人たちがこわいので』の3冊が邦訳されているがこれまた今では入手困難で、知る人ぞ知る作家というべきだろう。本書はこれら3冊以来、実に32年振りの邦訳である。

 ブラックバーンの作風の特色は、ホラーとSFとミステリをごた混ぜにしたようなジャンルミックス性にあると言われており、本書も《論創海外ミステリ》の一冊として異色の伝奇ミステリという売り出し方をされている。しかし、実際に読んでみると、本書はむしろ邦訳されたブラックバーンの4長篇の中ではもっともまっとうなホラーというべき作品であった。序章こそ英国国教会の主教が交通事故に見せかけて何者かに謀殺されるという至って現実的なものであるが、第1章ではそれが時代を遙かに先駆けた科学知識を持っていたらしい18世紀のオカルティストの遺産に絡んでいたことが示され、さらに第2章ではその男の墓所で超自然的な力の発現と思しき惨劇が起きる。以後19章に亘って、物語は現実的解決を否定する方向にまっすぐエスカレートしていくばかりであって、怪異の真相を巡り超自然とSFの間を揺れ動くことはあるものの、ミステリ的な決着を示唆することはまったくない。本書はあらかじめミステリであるという思い込みを持って読みでもしない限り、ミステリとして読みようがないはずなのである。

 伝奇と心霊と科学が交錯しつつ徐々に勢いを増していくストーリー展開はクォーターマス・シリーズの『火星人地球大襲撃』のようだし、終盤の壮絶なカタストロフはまるで『怪獣ウラン』。もし往年のハマー・プロがナイジェル・ニール(本年10月に死去したとのこと。合掌)の脚本とヴァル・ゲストの監督ででも映画化していたらホラー映画史上に残る傑作になったのではなかろうかと思ってしまうほどで、本書は分類困難な異色作というよりもこれら英国産SFホラーの正統に属する作というべきだろう。必要以上にキャラクターの心情や生活の描写に深入りしない皮肉な眼差しと、引き締まったテンポの良い語り口は近年の厚塗りモダンホラーには求むべくもないもので、だからこそブラックバーンは英米でも埋もれた作家になっているのではないかとも思われるけれど、前述のような映画タイトルや人名を耳にするだけでなにやらうずうずと血が騒いでくるような年季の入ったホラー・ファンなら、本書はこの上ないご馳走として堪能できることだろう。

 というわけで本書は、ホラー・ファンとしては版元の意向のように異色ミステリ扱いさせておくには忍びない作品なのであるが、こうして本国でも絶版の古い長篇の邦訳が読めるのは、熱心な愛好家に支えられた日本のミステリ出版のおかげであることもまた事実なので、何とも複雑な気持ちにされられてしまう。ともあれ、論創社はこの後も同じミステリ叢書で何冊かブラックバーンの長篇を邦訳してくれるようなので、楽しみに待つとしよう。

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