『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』
第7回日本SF新人賞受賞作、タタツシンイチ『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』(徳間書店)[bk1][Amazon]を著者タタツシンイチ氏より頂戴する。タタツは、私が大学時代に所属していたサークルの後輩である。「関西大学SF・ミステリ・映画研究会F&N」なる鵺のごとき名称のそのサークルは、もともと関西大学SF研究会からわけがあって分派してできたというのだが、その「わけ」には諸説あって判然としない。伝統と実績を誇り続けている関大SF研とは違って、F&Nは今はもう跡形もなく消えているはずだ。タタツはその泡沫サークルからようやく生まれた、プロ作家第1号なのである。
実は、この『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』の原形に当たる作品を、私は11年前に読ませてもらった(というか、今も手元にある)。『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』は、バブル経済が崩壊せずに続いているという架空の近未来の日本を舞台に、アメリカのサイボーグ特殊部隊と日本の新型アンドロイドが激闘を繰り広げるSFアクション長篇である。私がかつて読ませてもらった原形版は、タタツや私たちの若き日をすっぽりと覆い、当時もまだ残滓が生々しく漂っていたバブル経済への違和感を思い切りぶちまけたような小説だった。
「今さらバブルってどうでしょうね?」
改訂版を日本SF新人賞に応募したことを打ち明けてくれたときにタタツは、過ぎた世相を題材にした小説であることを気にしている様子だった。私はその点は、さほど危惧していなかった。今の日本がバブル経済の崩壊からほんとうに学んでいるとは思えないし、タタツが原形版に込めていた偽りの繁栄に対する嫌悪には、世代を問わない普遍性が認められたからだ。しかし、タタツはそれだけでは満足できなかったようで、構成を見直し大幅に加筆して完成された本書は、バブルという世相は単なる足掛かりにして、「日本的なるもの」を問わんとする小説に生まれ変わっている。「日本」に対する苛立ちと愛着。この小説の中では、それらが微妙に拮抗し交錯している。
SF活劇であり、日本論でもある本書は、上述の通りさらにある種の青春小説でもある。したがって無闇な熱さ青臭さこそが力なのだのが、そこがどうにもついて行けないという読者も、きっといることだろう。え? 40歳過ぎて青春でもあるまいって? 勘弁してやってくださいよ。こやつめの青春は、まだ片が付いていないんですから──まだまだこれから、暴れるんですから……。
関係者である以上、語れば語るほど内輪誉めと取られる恐れもあるので、そろそろ切り上げるとしよう。ただ、原形版を読む機会があった者として、最後に一つだけ言っておかねばならないことが残っている。
この小説はクライマックスに差し掛かる箇所で、ある海外ロックバンドの曲の歌詞が引用されており、さらにタタツによる邦訳が併記されている。タタツ自身が巻末あとがきで「超訳」と断ってはいるのだが、それにしてもひどく原文とは隔たった訳文なので、「この作家は英語がさっぱり判らないのではないか?」と思われる方もあるかも知れない。だが、私が11年前に読んだ原形版では、もっとずっと原文に沿った訳が付されていた。つまり完成版の訳文は、タタツが意図して原文からかけ離して仕上げたものなのだ。もしこの訳文を問題視するのなら、それを念頭に置いてやっていただきたいのである。
ともあれ、皆様まずはご一読をお願いいたします。
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