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2005/04/24

購書備忘録2005その26『アメリカ短篇小説の研究』

 ネットの古書店で注文した元田脩一『アメリカ短篇小説』が届く。

元田脩一『アメリカ短篇小説』(1972,南雲堂)
 副題に、「ニュー・ゴシックの系譜」とある。ニュー・ゴシックという言葉は、あちこちでいろんな論者が自分なりに使っているので弱ってしまうが、本書の定義ではそれは「アメリカ短篇小説の重要な一系譜」であって、

「ゴシック・ロマンスの要素を受けつぎながら、それらの要素を寓話的象徴の次元にまで高めることにより、あるいはまた、それらを主人公の心理の象徴、ないしは主人公の心理に働きかけ、その心理状態を反映する心理の客観的相関物へと変質させることにより、抽象的観念の具象化や、深層心理の表明に成功した作品」

 なのだという。具体例として、ホーソン『若いグッドマン・ブラウン』『ラパチーニの娘』、ポオ『アッシャー家の崩壊』、ジェイムズ『ねじの回転』、カポーティ『夜の樹その他の短篇』『遠い声、遠い部屋』を取り上げて分析しているが、要は「ただの怪談ではない」系の評論である。この系統の評論の常というか、どうしてただの怪談よりも寓話や心理的象徴が文学として優れていると言えるのかという論拠は提示されていないし、この「ニュー・ゴシック」とやらがどうしてアメリカで、しかも短篇小説という形をとったのかも充分に考察されてはいないのだから、説得力もへちまもあったものではない。まあ、上記の小説の心理的な読み込みの手引きとしてなら、それなりに使えるが。

 どうしてこんな本を買ってしまったのかというと、実は他の本で、ヘンリー・ジェイ
ムズとスピリチュアリズムとの関わりについて触れた文献として名前が挙がっていたからなのである。ところが、あいにくそちらも創元推理文庫版『ねじの回転』に付された赤井敏夫による解説「幽霊の実在を巡る二つの論争──『ねじの回転』と心霊論争」を大きく超えるような情報はなくて、むしろ「ねじの回転」の幽霊の解釈についての幻覚派と象徴派の決め手を欠く論争を、簡略にまとめているのが参考になった。結局、幻覚派も象徴派も、そして彼らの論理の薄弱さを鳥瞰してみせる本書の著者も、自分の見たいものを見ているだけなのである。もともと人間とはそういうものなのだが、「ねじの回転」には人間のそうした特性を誘発させるところが確かにある。それは「ねじの回転」が怪談の技巧として朦朧法を極めた結果の、いわば副作用とでもいうべきものなのだろう。

 だが、それにしてもこの、読者それぞれが幽霊に惑わされて自分の見たいものを見てしまうという構図には、幽霊や妖精、宇宙人といった<彼方からの声>の実見談とも奇妙に似通っているところがある。まさかとは思うがジェイムズは、こうした<彼方からの声>を鵜呑みにしていたスピリチュアリズムに係わる一方で、心霊のヴェールの向こうの闇をいくらかでも見通していて、それを小説に取り込んだというようなことがあり得るのだろうか? 彼の父と兄は、神秘体験の経験者だというが……。

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