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2005/02/20

便乗企画:ホラー・ファンはこれも読んで! 2004

 こちらではもったいぶった予告をしてしまったが、実はそんな大層な話ではない。『SFが読みたい! 2005年版』[bk1][Amazon]の笹川吉晴氏による昨年度のホラー出版総括は、限られたスペースで手際よく多くの本を紹介されており、ホラー・ファンの手引きとして立派に役立つものになっている。ただ、この本の性格上、ホラー総括から外れてしまっている書籍の中に、ホラー・ファンにお勧めしたいものがあるので、フォローのような意味でご紹介したいというだけだったのである。少々誤解を招くような書き方だったようで、申し訳ない。

 さて、まず1冊目は、エリザベス・ボウエン『あの薔薇を見てよ ボウエン・ミステリー短編集』(ミネルヴァ書房)[bk1][Amazon]。古参怪奇ファンには、「猫は跳ぶ」 や「魔性の夫」といった心理描写に優れた不吉な肌触りの怪奇短篇でお馴染みの作家の短篇集である。
 怪奇小説に深い関心を持っていたとはいえ、ボウエンはもともと純文学系の作家である。本書は学術書専門の版元から出ているだけあって、広い意味で幻想小説と言えるのものすら全20篇のうちせいぜい8篇ほどにしかならないので(しかも半数は既訳)、ホラー総括から抜け落ちるのも無理はないとも言える。だがしかし、そのどれもが優れた作品ばかりなので、決して読み逃すべきではない。
 中でも、第二次大戦下の空襲に怯え静まりかえったロンドンの夜に、ハガードの『洞窟の女王』に登場する古代都市コーを幻視する「幻のコー」は、今まで邦訳されていなかったことに憤りを覚えてしまうほど素晴らしい。本書の訳者太田良子氏は解説で、「ロンドンの空襲the Blitzをこれほど鮮やかに描いた作品はないとされる秀作」と紹介しているけれど、これはむしろそうした現実に拮抗する幻視を描いているのであって、もっと大きな普遍性を持った文学として読むべきだろう。
 この「幻のコー」に限らず、訳者の解説は全体に、怪奇幻想ファンにはどうも共感しづらいように思う。訳文についても、既訳に較べて正確さを向上させることを心掛けているのがはっきり見て取れる反面、全体にやや硬く、小説の文章としての味わいに若干疑問を感じる読者もあるかも知れない。とはいえ、ボウエンの作品自体は、そんな些細な引っかかりを吹き飛ばすだけの力があるので、ぜひ読んでみて欲しい。

 次は、アルフレッド・ベスター『願い星、叶い星』(河出書房)[bk1][Amazon]。オールタイム・ベスト級の傑作『虎よ! 虎よ!』で名高いSF作家の中・短篇集で、当然『SFが読みたい! 2005年版』ではSFの枠内で紹介されている。だが、本書の目玉の一つともなっているベスター初期の代表作である「地獄は永遠に」は、伝説的なファンタジー雑誌「アンノウン・ワールズ」に発表された中篇で、悪魔の誘惑を題材にした怪奇小説なのである。
「アンノウン・ワールズ」(創刊時の誌名は「アンノウン」)は、1939年にジョン・W・キャンベル・ジュニアによって創刊されたファンタジー専門パルプ・マガジンである。短命に終わったものの、SFの手法を援用して魔法が存在する世界を論理的にシミュレートしてみせたような作品を送り出し、ファンタジーに革命を起こした雑誌として知られている。生き生きとしたキャラクター造形とユーモアを交えた語り口と相俟って、同時期のライバルだった「ウィアード・テイルズ」の時代がかったおどろおどろしさと較べると、「アンノウン」はずっと洗練された今日的な感覚の作品が多い。フリッツ・ライバーの『妻という名の魔女たち』[bk1][Amazon]やL・ロン・ハバードの『フィアー』[bk1][Amazom]などの初出が「アンノウン」だったと言えば、具体的にイメージしてもらえるだろうか。
「地獄は永遠に」は、こうしたアンノウン系ファンタジーの長所がたいへんよく判る作品である。空襲下のロンドンで戦争をよそに退廃的な悦楽に耽り続けている6人の好事家たちが、芝居の中の儀式でほんとうに悪魔を召喚してしまい、悪行の褒美に各々が望む現実へ転移させてもらえることになるが……というお話。悪魔に負けていない6人のえげつないキャラクターと、彼らが望んだはずの理想的世界のグロテスクさ(生理的な意味ではないのでご安心を)が読みどころで、初出から60年後の今読んでもまったく古さを感じさせない。いや、それどころかベスターの文体は、いたずらにくどくなりがちなモダンホラー作家よりも無駄がなく洗練されていると言うべきだろう。
 SF史のキイ・パースンであるキャンベルが手掛けたせいか、これまでアンノウン系ファンタジーはファンタジーのSF化というような捉え方をされることが多く、特に日本では、ホラー系の評論で体系づけて触れられることがあまりなかったように思う。だが、モダンホラーの源流とされることが多い、いわゆる<異色作家>系モダン・ホラー(この分類は日本でしか通用しないので、要注意)の前に、「地獄は永遠に」のようなアンノウン系ファンタジーを置けば、ウィアード・テイルズに代表されるパルプ・ホラーから現在のモダンホラーが生まれてきた過程が、よりはっきりするのではないだろうか。

 最後は、グレアム・ジョイス『鎮魂歌(レクイエム)』(ハヤカワ文庫)[bk1][Amazon]。海外では非常に評価が高い作家にもかかわらず、著者の長篇はこれが初めての邦訳である。
 本書はプラチナ・ファンタジーの一冊として邦訳されたせいで、『SFが読みたい! 2005年版』では笹川氏のホラー総括から抜けているのだが、内容的には事故死した妻の影に取り憑かれた男を描いた幽霊もののホラーに近い作品なので、石堂藍氏のファンタジー総括でも書名しか触れられていない。グレアム・ジョイスは安易なジャンル分けを拒む多彩な魅力を持つ作家なので、止むを得ない結果ではある。以前からジョイスを熱心に推してこられた中野善夫氏が、特別企画の「作家別海外SF必読書ガイド」で解説してくれているのが救いであるが、もっと大きい扱いを受けて然るべき作家のはずだという思いも、どうしても拭いきれない。
 ホラー・ジャンルの視点から評価するならば、グレアム・ジョイスは現実が非現実に侵犯されるスリルを描くことにかけて、恐らく当代随一の実力を持つ作家だろう。彼の作品は純然たる超自然と心理的な解釈との間を揺れ動き、登場人物は自らの正気をとことん疑い続けることを強いられる。しかも、ヘンリー・ジェイムズやデ・ラ・メアらの朦朧法のホラーとは違って、ジョイスは物理的な証拠を平気で持ち込むので、混迷の度合いはより一層深い。例えばホイットリー・ストリーバーの『コミュニオン』のようなノンフィクションの怪異談に比肩する生々しい怖さが、ジョイスの作品にはある。
 また、怪奇小説は大好きだがホラーは気持ち悪いので読まないという中野善夫氏が推していることからも判るように、ジョイスは生理的な嫌悪感に立ち入ることがほとんどない。あくまで現実と非現実のせめぎ合いに焦点を定めているので、古典怪奇ファンにも安心して読めるはずだ。
 正直に告白すると、実は私は本書の他には少年の思春期の葛藤と妖精との遭遇を巧みに絡めた"The Tooth Fairy"[Amazon]しかジョイスの作品をちゃんと読んでいないのだが、この"The Tooth Fairy"には文字通り打ちのめされた。『鎮魂歌』より"The Tooth Fairy"の方が、超自然小説としては優れているのではないかと思っているほどなのだが、これが邦訳されるには、まず『鎮魂歌』が売れなければならない。皆さん、ぜひ買ってください!

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