twitterではすでにお知らせしたが、7月末に発売された小野不由美『残穢』文庫版[Amazon]の巻末解説を書かせていただいた。
文庫本解説の依頼を受けたのはこれが初めてで、正直なところ「これでいいのだろうか?」と戸惑いながら書いた。普段はエゴサーチなんてほとんどやらないのだけど、今度ばかりはどう受けとめられているのか気になってしまい、発売後しばらくネット上の評判をずっと見ていた。幸いにもまずまず好評をいただいているようで、ほっと胸をなで下ろしている。
一方で、こちらが予期せぬ反応もあって、それがまた、なかなかおもしろかった。そのずれについて、少しお話ししてみよう。
何しろ初めての経験だから、まずはこちらから担当編集者氏に「特に気をつけるべき点はありますか?」と率直に尋ねてみた。すると、「枚数は最大16枚程度、短くても構わない」ということと、「ネタバレは厳禁」の2つだけ。ほかには何ら制約はなく、自由に書いてくださいという返答であった。
それなりの枚数がもらえたので「これなら本格的な『残穢』論が書けるかも?」とも思ったのだが、すぐあきらめることになった。『残穢』の魅力は精緻に組み上げられた語りの仕掛けにあり、それらを具体的に解析していかないことには正面から論じることができない。ネタバレを禁じられては、手も足も出せないのである。さて、どうしたものか?――呻吟している私を見て、妻はあっさりこう言い放った。
「そら文庫解説なんやから、この本がどういうおもしろさを持っているかを訴えてやね、読者が『この本、買おう!』という気になればええんでしょ?」
ごもっとも。いま求められているのは、本格的な評論などではない。いうなれば、お化け屋敷の呼び込みのようなものなのだ。心を入れ替え、その線で構想を練り直した。
想定読者層は、怪談ファンでも小野不由美ファンでもない。映画化のニュースで『残穢』について知ったり、書店で平積みを見掛けたりして、店頭でふとこの本を手に取るような人たち。そんな人たちが店頭でさっと通読でき、これがどういう成り立ちの本で、どういう怖さが楽しめるのかがすんなり理解できるような長さと密度の文章。まずそれを絶対的な条件とする。そうすると、枚数制限は16枚以内だが、理想はせいぜい10枚程度なのではないか。作品誕生に至る経緯や背景の説明はきっちりやるとしても、『残穢』そのものに触れないで進めるのは見開き2ページ程度が限度だろう。私のことなどまったく知らない読者の方が多いはずだから、いわゆる「自分語り」はいっさいやらない――そんな調子で、事前にルールを定めていった。
かんじんの「『残穢』の怖さ」とはどういうものなのか。これについては、第26回山本周五郎賞の選考委員諸氏が各々の読書体験を生々しく端的に語っていたので、そのまま引用させていただく形で導入部を拵えていき、さらにそれらをまとめ直しつつ強調するフレーズを付け加えた。
「『残穢』の恐ろしさは、おとなしく本の中に止まってはくれない。 それは紙面から染み出してきて読者を絡めとり、 読み終わって本を閉じた後も脅かし続けるのだ」
ここまでは不思議なほどすんなりと書けて、なんだかほっとした気持になった。これで解説の核ができた。この先どのように原稿が展開していこうとも、この核さえ見失わなければ、ちゃんとまとめあげられるだろう。そういう確信が持てたからだ。また、このフレーズは、編集部にも思いのほか気に入ってもらえたようで、文庫の帯や『残穢』特設サイトでの宣伝にまで使っていただいた。
繰り返しになるが、文庫版『残穢』解説はあくまで解説として書いたものであって、評論として書いたものではない。もしも評論的な読みどころがあるとしたら、怪異描写の写実性の追求という観点で現代怪談ブームの流れを総括したこと、その中での『残穢』の位置づけを語ったこと、その2つぐらいだろうか。だが、それらにしても厳密に論じようとしたらかなりの枚数を要し、文庫解説の枠をはみ出してしまうので、あくまで概説に止めている。
著者小野不由美はホラーと怪談をかなり厳密に分けて意識しており、『残穢』は怪談として書いたものだと各種のインタビューで明言している。一方で小野不由美には、ホラーとしての代表作に『屍鬼』というとんでもない傑作がある。『屍鬼』は、前世紀末から今世紀初めにかけて、スティーヴン・キングに代表される海外モダンホラーのインパクトを現代日本の風土に移入しようとした作家たちの試み――すなわち、東雅夫氏がいうところの《ホラー・ジャパネスク》の一つの頂点を極めた作である。『残穢』は怪談文芸ブームの一つの極みというべき作だから、本来はこの二作を対照して論じるべきだろう。
しかし、《ホラー・ジャパネスク》を概観するのに、いったい何枚を要するか? 想定した読者層が、そこまでホラーと怪談の違いに関心を抱くだろうか? 映画版『残穢』の方は、まず間違いなく《Jホラー映画》の1本として宣伝され、受容されるだろうから、いよいよ話がややこしくなる。やむを得ず、『残穢』と『屍鬼』および《ホラー・ジャパネスク》との関わりについて触れるのは断念し、現代怪談ブームとの関わりのみを語ることにした。
さて、現代怪談ブームの流れを語るには、古来の伝統的な怪談との違いを明らかにせねばならない。そうすると江戸期には仏教・儒教的な道徳観の制約があり、近代に入ってからの心霊主義もまた、科学を装いながら宗教的モラルの束縛を受けていたことをきっちり語る必要がある。実際にそういう形で原稿を書き進めていたのだが、明治に入る手前でもう8枚に達してしまった。この調子ではおそらく4、5ページほども『残穢』の話が出てこなくなるし、そもそも制限枚数を大幅に超過する!――というわけで、書きかけの初稿は破棄し、大幅に省略して書き直した。
そんな次第なので、本格的な評論を期待して文庫版『残穢』解説を読まれた場合には、ここが、あそこが……といろいろ気づかれる箇所が多いはずだと思う。言い訳めくけれど、あくまで解説として書かれたものとして、どうかご寛恕いただきたい。
『残穢』は怪談小説なのだから、それを手に取る読者は、怖がることを期待しているはずである。呼び込みに徹すると決めたからには、読者の「怖がるぞ」という気分を盛り立てなければならない。これは私が今まで書いてきた、批評や評論は本来、感情ではなく理性に働きかけるものだから、それを越えた工夫が必要なのだろう。
だから文庫版『残穢』解説の導入部は、読者の「怖がるぞ」という気分に情緒的に訴えかけることを強く意識した書き方になっている。ところが、続きを書き進めているうちに、なんだかいつものように文章が理屈っぽくなってきてしまい、何かもう一押し、理性ではなく感情に訴えかけるべきだという気がしてきた。
『残穢』が放つ伝染する穢れの恐怖は、現代創作怪談の横綱格『リング』にも似通っている。だが、不幸の手紙ビデオ版とでもいうべき『リング』が現代風俗を取り込むことを強く意識しているのに対し、『残穢』は古来の民俗的概念に着目し近代日本史を過去へ遡っていく。それに『リング』はどこまでもよくできた作り話に徹しているが、『残穢』は姉妹編である『鬼談百景』[Amazon]を介して実話の領域にも踏み込んでいく。一見似ているようで、真逆なベクトルも持っているのだ。
そこでまず、『残穢』の恐怖は過去志向だからこそ『リング』以上に本源的・普遍的であると説き、「誰も逃れられない」と強調した。さらに、もともとは書誌情報に絡めて解説中盤に配していた、『鬼談百景』を介した現実への侵犯に関する説明を末尾へ移動し、全文が導入部のまとめである「『残穢』の恐ろしさは、おとなしく本の中に止まってはくれない。 それは紙面から染み出してきて読者を絡めとり、 読み終わって本を閉じた後も脅かし続けるのだ」というフレーズに回帰していく構成とした。この構成によって、読者を絡めとって離さない『残穢』の恐怖を、論理ではなく感覚的に読者に訴えかけることができないかと考えたのだ。
こうして書き上げた原稿が15枚程度。ぎりぎりまで削って14枚弱にした。目標の10枚は超過したが、これ以上削るとかえって読みづらくなるので許容範囲とした。それはよいとして、これまで自分が書いてきた文章ではあり得ないほど「煽ってるよなあ」というのが率直な感想であった。やりすぎなのではないか?……でも、呼び込みらしくはなったよな?……はたしてこれが正解なのか、ずいぶん逡巡した。迷った末に手を加えず編集部に送った結果が、ほぼそのまま本になったのである。
読者諸氏にはおおむね好意的に受けとめていただいているようで、ほんとうにありがたい。意外にも、評論として評価してくださる方もいらっしゃるようだ。望外の喜びではあるけれど、反面、穴があったら入りたいような気持ちでもある。また、まったく予想もしていなかったような反応もあった。何と、『残穢』そのものだけでなく、私が書いた解説や帯のフレーズまでもが怖いという声が、方々からあがってきたのだ。
私としては、読者があらかじめ抱いているはずの「怖がりたい」という気分を盛り立てようとは狙ったが、直接的に解説文や帯で恐怖を喚起しようとまでは思っていなかった。だから「ほんとにこれが怖いの?」というのが、偽らざる気持ちである。ただ一つ、なるほどと思わされたのが、『残穢』本文を読んだ後に解説を読んで、また怖くなってしまったという意見であった。『残穢』だけでも怖いのに、その怖い読後感が、私の煽り気味の解説でまた増幅されてしまったと。これはあり得る話だろう。
ところが、それよりも「解説や帯を読んだだけで怖くなって、買えなかった」という反応の方が、なぜかずっと多いのである。私の直接の知人にまで、そんなことをいう者が二人も出てきた。これには参った。呼び込み失格ではないか……。どこでどう口コミが広がっていったのか、ついにはこんなツイートまで現れる始末。
いやいや、私はそんなこと書いていませんって。そんな帯が付いている文庫版『残穢』は存在しない。はず――かくして、文庫版『残穢』解説と帯は、それ自体がある種の怪談になってしまった――。
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