カテゴリー「John Blackburn」の記事

2015/06/11

ブラックバーン・リバイバル『獅子の顔』"The Face of the Lion"

 ジョン・ブラックバーンに新たなリバイバルの波が来ている。といっても、アメリカでの話なのだが……。ヴァージニア州リッチモンドに、ゴシック小説やホラー、ミステリのリプリントを専門にしているヴァランコート・ブックス(Valancourt Books)という小出版社があって、2013年からジョン・ブラックバーンの小説を復刻し始めており、現在、なんと15作にも達しているのだ。ブラックバーンが生前に発表した長篇はぜんぶで28作なので、半分を超えている。

 この他、イギリスのミステリ専門リプリント出版社であるオスタラ・パブリシング(Ostara Publishing)も2010年に『リマから来た男』を復刻している[Amazon][kindle]ので、現在、新刊で入手できるブラックバーンの著作は計16冊になる。2006年から2009年にかけて論創社がブラックバーンの長篇を3冊邦訳し、本ブログでもブラックバーンを繰り返し取り上げたことがあったが、あのころには彼の著作は英米でも軒並み絶版品切れで、高い古書を買うしかない状態だった。実力からすれば再評価されて当然なのだが、まるで夢を見ているかのような気分にさせられる。

 もっとも、その夢は甘いばかりではなかったりする。だって、自分が大枚叩いて買った本まで安価で復刻されてしまうんだもの! さんざん悩んで「これぐらいなら手を出せる」と決断した"Devil Daddy"(1972)[Amazon]がほぼ3分の1の2000円そこそことか!? ――などと見苦しく愚痴っていても仕方ないので、ヴァランコート・ブックスの復刻から1冊を選んでご紹介しよう。1976年発表の『獅子の顔』"The Face of the Lion"である[Amazon][kindle]。

 本書は、創元推理文庫の邦訳により日本でもおなじみである、イギリスに帰化したユダヤ人細菌学者マーカス・レヴィン卿と、その妻で元KGBエージョントのタニアを主人公にしたシリーズの1冊に属するが、彼らの友人である英国諜報部のカーク将軍は登場していない。レヴィン卿夫妻が主役なので当然ながら今回も危険な微生物が絡んでおり、感染者を醜い顔貌に変じさせ凶暴化させる謎の疫病に、二人は立ち向かうことになる。書名の『獅子の顔』はその疫病の症状にちなんだもの。感染者を獅子顔にする伝染病というとハンセン病が有名だが、顔に結節が生じれば獅子顔になるわけで、ハンセン病のみの症状ではないのだそうだ。ヴァランコート・ブックス版ではカバーアートがライオンそのもので、なんだか可愛らしい(※amazonの画像リンクです)。



 しかし、初版のカバーはこのようにもっと謎めいて恐ろしげなものだった(※これもamazonの画像リンク)。


 物語は、スコットランドのある地方領主がどんどん強大になっていて、独立運動の果てに私設軍隊まで作り、どうやら核兵器を所有しているらしいという大ネタから始まる。謀反と疫病とはすごい取り合わせ、さすがブラックバーン! と期待してしまうところだが、残念ながら止めどなく広がる疫禍によって謀反の方は序盤で自然消滅してしまい、謎の疫病がどこから生じたのかと、感染拡大をいかに食い止めるかに焦点は絞られていく。

 処女作『刈りたての干草の香り』(1958)[Amazon]を強烈に彩っていた阿鼻叫喚のモンスター・パニック的描写も本書では抑制されており、ブラックバーンにしてはずいぶんまっとうな小説となっていた。諜報サスペンスとSFとホラーをない交ぜにしたような、独特の作品世界を好む読者には、ちょっと物足りなく感じられるかも知れない。それでも、彼らしいシニカルなユーモアは健在で、破滅的な災厄こそ回避されるものの、ほろ苦い余韻が残る皮肉な結末は味わい深い。

 なお、本書にはジョン・ブラックバーンの熱心な愛好家であるグレッグ・バー氏(と、読んでいいのかな? 綴りは"Greg Gbur"なんだけど)による巻頭解説が付されており、彼は本書をリビングデッド系ゾンビ小説の先駆の一つと位置づけている。彼によれば、小説において増殖する生ける屍の群れを魔術ではなく疫禍と結びつけたのはH・G・ウェルズの『世界はこうなる』(1933)[Amazon]を嚆矢とするという。しかし、本格的にリビングデッド系ゾンビ小説が書かれるようになったのは、その後ジョージ・ロメロらによる映画のブームを受けてずっと後の、スプラッタパンク系ホラー・アンソロジー『死霊たちの宴』(1989)[Amazon]以降のことであって、ブラックバーンの『獅子の顔』はそれらを繋ぐミッシングリンク的な作品であるとのこと。熱心なゾンビ・ファンには異論があるかも知れないが、なかなかおもしろい論考だった。

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2007/03/01

ジョン・ブラックバーン再説(その2)

 ※この項は、昨年12月の「ジョン・ブラックバーン再説(その1)」の続きです。まず先にそちらを読んでください。

 デニス・ホイートリー(1897-1977)は、日本ではどれぐらい読まれているのだろう? 平井呈一が編んだ『世界恐怖小説全集』の一冊として早くから邦訳紹介された『黒魔団』はその後国書刊行会から2度再刊されているし、ハマー・フィルムで『悪魔の花嫁』[Amazon]として映画化されたり、私は未見だが少女漫画版まである(中貫えり『週末は魔都ロンドン』1996,あすかコミックス)というだけあって、それなりに知られているようではある。だが、ほかの著作はほとんど読まれていないのではないだろうか。

 ホイートリーは1930年代の作家デビューから晩年に至るまで、英国では国民的な人気を誇った流行作家であった。『黒魔団』を始めとしたホイートリーの黒魔術小説は、今でこそ原書でも新刊で入手できるものは少なくなっているものの、ほんの10年ほど前まではすべて現役だった。ただし、本来彼が得意としたのは戦乱や国際関係の緊張を背景にしたサスペンス小説であって、黒魔術小説は割合からいうと著作の一部でしかない。邦訳では、1980年代に国書刊行会から『デニス・ホイートリー黒魔術小説傑作選』全7冊が刊行されており、下記の5長篇を読むことができる。

(1)『黒魔団』 The Devil Rides Out (1935)
(2)『新・黒魔団』 Strange Conflict (1941)
(3)『娘を悪魔に』 To the Devil-A Daughter (1953)
(4)『悪魔主義者(サタニスト)』 The Satanist (1960)
(5)『ナチス黒魔団』 They Used Dark Forces (1963)

(1)は、強大なパワーを秘めた「セトの護符」を獲得しようとするオカルト結社とそれを阻止しようとするグループとの、正邪の魔術合戦を描いたもの。(2)では(1)の主人公たちが今度は、ナチスに協力し英国海軍の輸送船団の航路を透視しているブードゥーの魔術師に立ち向かう。(3)は、ホムンクルス製造のために生贄にされようとしている乙女を巡る争奪戦。これもハマー・フィルムによって『悪魔の性キャサリン』[Amazon]として映画化された。(4)は共産主義陣営と結託している悪魔崇拝者たちの陰謀を青年刑事とその恋人が追い、最後は核戦争の危機まで迫るという気宇壮大な物語。(5)は、ナチスドイツの中枢に潜入した英軍のスパイが、予知能力を持つユダヤ人魔術師の協力を得てヒトラーをたぶらかそうとするという戦中秘話仕立ての異色作である。

 このようにデニス・ホイートリーの黒魔術小説は、しばしば彼の十八番である諜報サスペンス小説と混淆する。そればかりか、実はこれらの5長篇はそれぞれ黒魔術とは無縁のサスペンス小説シリーズの一冊でもあるのだ。(1)(2)は英国に政治亡命してきたフランス人ド・リシュロー公爵、(3)(4)は英国公安部の"コンキイ・ビル"ヴァーニー大佐、(5)は英軍情報部員のグレゴリー・サリューストという、いずれも諜報活動のエキスパートであるキャラクターのシリーズに属している。これらのシリーズを通読すると、オカルト的要素などまるでない物語が続いている中にいきなり黒魔術の物語が顔を出すという、奇妙な読書体験をすることになるわけだ。ホイートリーはすでに1930~40年代に国際諜報物のサスペンス小説とオカルト・ホラーとの間を自在に行き来するキャラクター小説シリーズを確立しており、長きにわたって英国民の絶大な支持を得てきたのである。

 恐らくジョン・ブラックバーンのマーカス・レヴィン卿とカーク将軍のシリーズは、こうしたホイートリーの小説作法に則ったものに違いない。ブラックバーンの小説はアメリカではイギリスほど売れなかったというが、これもホイートリーによる地ならしの有無の差によるものではないだろうか。同様にしてホイートリーに倣った英国の作家はブラックバーンのみではないようで、超能力ホラー映画の傑作として日本でも知られている『メドゥーサ・タッチ』(1978)[Amazon]も、ピーター・ヴァン・グリーナウェイによる原作はチェリー警部補というキャラクターを主人公にしたサスペンス小説シリーズの1冊なのだそうだ(Peter Van Greenaway,"The Medusa Touch",1973)。『闇に葬れ』に顕著な英国産SFホラー映画との類似性も考え合わせると、ジョン・ブラックバーンはジャンルフィクションの改革者というよりも、伝統を意識して既存の類型をなぞろうとした作家であるといった方が正しい。とはいえ、こうした評価はブラックバーンの独自性を否定するものでは決してない。

 いったい何がホイートリー流ジャンルミックスの根幹となっているかは、現物を読めばすぐに判る。彼にとっては、ナチも共産主義も悪魔崇拝も古き良きイギリスの敵という点ではまったく同じであり、いくらでも置換や結合が可能だったのである。極端な保守主義者であるホイートリーの小説は、しばしば大英帝国を礼賛するための歴史や政治についての退屈な議論で中断する。一方、肝心の魔術戦も無邪気に正義の勝利を信ずるあまり、なんだか呑気なお遊びのようになってしまいがちである。ブラックバーンは、このような保守主義や楽観主義とは無縁だった。人類の愚かさや偶然の悪意を好んで描くブラックバーンの視線はむしろシニカルであり、無駄のない引き締まった語り口はホイートリーには望むべくもない。また、ホラーといってもホイートリーが黒魔術を専門にしていたのに対し、ブラックバーンは微生物や生体実験などのバイオSF系の題材を得意としていた。ブラックバーンは大胆な改革者ではないが手堅い改善者であり、単に先行作品を模倣するのではなく自分なりの持ち味も盛り込んでいたのだ。

 ブラックバーンが排したホイートリーのお気楽な魔術的闘争は、『タイタス・クロウの事件簿』[bk1][Amazon]と『地を穿つ魔』[bk1][Amazon]が邦訳されているブライアン・ラムレイの《タイタス・クロウ》シリーズに受け継がれているように思う。ホラーというにはあまりにも無邪気なこのシリーズのイギリスでの人気も、ホイートリーの存在を念頭におくことで理解しやすくなる。また善玉グループが悪を倒す黒魔術小説シリーズとしては、まだ邦訳の機会に恵まれないピーター・サクソンの《ガーディアンズ》シリーズなどもホイートリーの影響下にありそうだ。しかし、ホイートリーの作品のみでこうした英国産ホラー・サスペンスの流れをすべてを了解した気になるのはまだ早いかもしれない。ホイートリーが範としたというサスペンス作家ジョン・バカンや、日本では《フー・マンチュー》シリーズのみで知られているサックス・ローマーもサスペンス仕立ての超自然小説を書いているのだが、どちらもまだ日本語で読むことはできない。というより、そもそも海外ホラーの邦訳はモダンホラー以前についてはひどく短篇に偏っており、長篇はほとんど手付かずのまま放置されているといっても過言ではないのだ。古い怪奇長篇なんてそう売れるはずもなく、あきらめて原書を読むしかないのは判っているのだけど、もう少し何とかならないもんでしょうかねえ。

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2006/12/23

ジョン・ブラックバーン再説(その1)

 先ごろ論創社より邦訳されたジョン・ブラックバーンの長篇『闇に葬れ』がなかなか楽しかったので、創元推理文庫で既訳の3作『薔薇の環』『リマから来た男』『小人たちがこわいので』もその後続けて読んでみた。『小人たちがこわいので』は20数年ぶりの再読で、『薔薇の環』と『リマから来た男』は買ったまま積読だったもの。このように扱いに差が出てしまったのは、『小人たちがこわいので』はホラーだが『薔薇の環』『リマから来た男』はサスペンス・スリラーだと聞いていたからである……この偏食ばかりは如何ともしがたい……。で、実際に読んでみると確かにその通りだったが、どれもそれなりにおもしろかった。

 この3冊は実は、同じキャラクターたちが主人公格で活躍する。ホロコーストを生き延びイギリスに帰化したユダヤ人医学者マーカス・レヴィン卿と、その妻で元はロシア内務省幹部の秘書兼ボディガードだったタニア、イギリス外務省情報部長カーク将軍の3人である。『小人たちがこわいので』の訳者菊池光氏の後書きによると、ブラックバーンの小説には「夫妻だけ、将軍だけ、あるいは三人ともに登場する作品がかなりあって、いわば一種のシリーズをなして」いるとのこと。これら3冊は原書の刊行順だと『薔薇の環』(1965)、『リマから来た男』(1968)、『小人たちがこわいので』(1972)となるのだが、邦訳はいちばん後の『小人たちがこわいので』が先行し、『薔薇の環』『リマから来た男』が続く格好になった。恐らくは、『小人たちがこわいので』がブラックバーンの代表作の一つとされることが多いので、まずそれを紹介しようとしたのだろう。

『薔薇の環』では、冷戦の狭間に起きた怪事件と、マーカスとタニアが出会い結ばれる過程が描かれている。東ドイツを通過中の列車から、在西ベルリンイギリス陸軍通信隊に所属する中佐の息子が、忽然と姿を消す。少年はなぜか西ベルリン市街を独り彷徨っているところを発見されるのだが、彼は異常なほど症状の進行が早い強力なペスト菌に感染しており、鉄のカーテンの両側で病禍が蔓延していく。この奇怪なペスト菌の発生源を探るためにマーカスとカークは東ドイツに入り、東側はタニアを彼らの案内役に任ずるのである。架空のペスト菌や、その起源に中世の遺跡と呪いの民間伝承が絡むといった伝奇的な趣向はあるものの、本書には超自然やSF的な要素はなく、純然たるサスペンス小説である。

『リマから来た男』では、イギリスの対外協力相を暗殺した男の死体を調査したマーカスが、宿主を異常な興奮状態にする謎の微生物を発見する。同様の暗殺事件が世界各地で続き、被害者の誰もが南米のある共和国に関わっていることが判明、マーカス夫妻とカーク将軍は真相究明のために現地に飛び、政情不安定な共和国の裏面で暗躍する謎の結社と対決することになるのである。この小説ではカギとなる微生物の起源について、あるSF的な発想の仄めかしがあるのだが、決定的な解明には至らないため、結末でかすかに不安な余韻を残すといった程度の効果に終わっている。ジャンルミックスとまではいかず、一風変わったサスペンス小説というのが妥当な評価だろう。

『小人たちがこわいので』は、邦訳されたブラックバーンの4長篇のうち、彼の特徴とよく言われるジャンルミックス性にもっとも富む作品と言えるだろう。本書は古代の宗教儀式の悪夢に繰り返し悩まされ続けた男の自殺と、工場の廃液が原因と思しき魚や鳥の大量死という2つの事件が、北ウェールズの民間伝承で恐れられてきた倭人族の逆襲という超自然的な解明で決着していくという、本格派のホラーである。ところが、この倭人族が仲間を呼び寄せるためにジェット飛行機のエンジン音に彼らの儀式の音楽を潜ませたり人類殲滅のために微生物を散布するとかいった、至って現世的な謀略の手段を用いているために、『薔薇の環』『リマから来た男』と同質のサスペンス小説としての味わいも濃いのである。こうしたサスペンス小説的な要素の混入はマーカス卿やカーク将軍たちを活躍させるためには不可欠であり、キャラクター小説の枠内でホラーを書こうとした結果のようにも思われるのだが、ともかく本書がホラーを軸としたジャンルミックス小説なのは間違いない。

 3冊の中では、容易に先が読めぬおもしろさで『小人たちがこわいので』がやはり傑出しており、そういう意味ではこれをまず邦訳した創元推理文庫の判断は正しかったと言える。しかし、『薔薇の環』を飛ばしていきなり『小人たちがこわいので』を読むと、元東側エージェントの主婦というタニアの特殊なキャラクターが突飛に感じられてしまうといったような、シリーズ物を途中から読むことによる違和感はやはりある。どれか1冊だけ読んでみるなら『小人たちがこわいので』がベストだろうが、もしもこれから3冊すべてを読む気があるなら、ぜひとも原書の刊行順に読むことをお勧めする。

 これら3冊を通読していくと、ブラックバーンはある英国人作家の影響を強く受けているのではないかという気がしてきた。日本では『黒魔団』を始めとしたオカルト・スリラーで知られている、デニス・ホイートリーその人である。しかしながら、このことを論ずるにはさらにかなりの字数を要するので、ひとまずここで区切りとする。

「ジョン・ブラックバーン再説(その2)」に続く(たぶん来年……)。

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2006/11/08

『闇に葬れ』

ジョン・ブラックバーン『闇に葬れ』(論創社)[bk1][Amazon]
 ジョン・ブラックバーンは、スティーヴン・キング登場以前のモダンホラーの先駆者とされる作家の一人であるが、ホラーの通史などで触れられることはさほど多くなく、その作品もイギリス本国ですら新刊では入手できない状態が続いている。日本ではたまたま1970年代に『薔薇の環』『リマから来た男』『小人たちがこわいので』の3冊が邦訳されているがこれまた今では入手困難で、知る人ぞ知る作家というべきだろう。本書はこれら3冊以来、実に32年振りの邦訳である。

 ブラックバーンの作風の特色は、ホラーとSFとミステリをごた混ぜにしたようなジャンルミックス性にあると言われており、本書も《論創海外ミステリ》の一冊として異色の伝奇ミステリという売り出し方をされている。しかし、実際に読んでみると、本書はむしろ邦訳されたブラックバーンの4長篇の中ではもっともまっとうなホラーというべき作品であった。序章こそ英国国教会の主教が交通事故に見せかけて何者かに謀殺されるという至って現実的なものであるが、第1章ではそれが時代を遙かに先駆けた科学知識を持っていたらしい18世紀のオカルティストの遺産に絡んでいたことが示され、さらに第2章ではその男の墓所で超自然的な力の発現と思しき惨劇が起きる。以後19章に亘って、物語は現実的解決を否定する方向にまっすぐエスカレートしていくばかりであって、怪異の真相を巡り超自然とSFの間を揺れ動くことはあるものの、ミステリ的な決着を示唆することはまったくない。本書はあらかじめミステリであるという思い込みを持って読みでもしない限り、ミステリとして読みようがないはずなのである。

 伝奇と心霊と科学が交錯しつつ徐々に勢いを増していくストーリー展開はクォーターマス・シリーズの『火星人地球大襲撃』のようだし、終盤の壮絶なカタストロフはまるで『怪獣ウラン』。もし往年のハマー・プロがナイジェル・ニール(本年10月に死去したとのこと。合掌)の脚本とヴァル・ゲストの監督ででも映画化していたらホラー映画史上に残る傑作になったのではなかろうかと思ってしまうほどで、本書は分類困難な異色作というよりもこれら英国産SFホラーの正統に属する作というべきだろう。必要以上にキャラクターの心情や生活の描写に深入りしない皮肉な眼差しと、引き締まったテンポの良い語り口は近年の厚塗りモダンホラーには求むべくもないもので、だからこそブラックバーンは英米でも埋もれた作家になっているのではないかとも思われるけれど、前述のような映画タイトルや人名を耳にするだけでなにやらうずうずと血が騒いでくるような年季の入ったホラー・ファンなら、本書はこの上ないご馳走として堪能できることだろう。

 というわけで本書は、ホラー・ファンとしては版元の意向のように異色ミステリ扱いさせておくには忍びない作品なのであるが、こうして本国でも絶版の古い長篇の邦訳が読めるのは、熱心な愛好家に支えられた日本のミステリ出版のおかげであることもまた事実なので、何とも複雑な気持ちにされられてしまう。ともあれ、論創社はこの後も同じミステリ叢書で何冊かブラックバーンの長篇を邦訳してくれるようなので、楽しみに待つとしよう。

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