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2013/12/23

『シルヴァー・スクリーム』

 デイヴィッド・J・スカウ編『シルヴァー・スクリーム』(創元推理文庫)上・下巻[Amazon][Amazon]を、訳者のお一人である夏来健次さんからご恵贈いただきました。ありがとうございました。

 本書は映画をテーマにした傑作ホラー・アンソロジーとして、本邦では名のみ知られていた。原書が出たのは1988年のことだから、もう25年も前になる。古いからといって軽く扱うべきではない。むしろこの古さにこそ、今回の邦訳の意義があると、私は思う。

 スティーヴン・キングの衝撃的な登場を経てモダンホラー・ブームが巻き起こったのは、1970年代後半のこと。『シルヴァー・スクリーム』が世に出たのは、キングに追随する作家たちが次々と現れたことによりホラー作家協会(HWA)が設立されブラム・ストーカー賞が始まったのと同じ年で、いわばブームの爛熟期に当たる。この後、90年代半ばまでには、モダンホラー・ブームはほぼ沈静化してしまうからだ。

 ただし、気をつけなければならないのが、ブームが終わったとはいってもあちらのホラー出版の勢いは、日本とは比較にならないほど依然として盛んであることだ。たとえば、年刊ベストホラー短篇選集『The Best Horror of the Year Vol.5』(Night Shade Books)[Amazon][kindle]の2012年度ホラー出版総括で、エレン・ダトロウが"Notable Novels"として内容を詳しく紹介している長篇は実に23冊、"Also Noted"として簡略に言及しているものは32冊にも上る。このうちこれから先に邦訳されるのは、おそらくはほんの一握りだけだろう。

 邦訳に頼っている限り、日本の読者は英米のホラー・ジャンルの動向を概観することすら難しいといわざるを得ないのである。実は、上述のモダンホラー・ブームの約20年間に生まれた作品にしても、名作として定番的な世評を得ている作品すらごく一部しか邦訳されていないのだ。この『シルヴァー・スクリーム』のような、もっともモダンホラーに元気があった時代の本の邦訳は、もっともっと積極的に進められなければならない。

『シルヴァー・スクリーム』がモダンホラー・ブーム爛熟期の成果であるということは、確立期を代表するアンソロジーである『闇の展覧会』(1980)[Amazon]と比較すれば、よくご理解いただけるかもしれない。モダンホラーの見本市とでもいうべき『闇の展覧会』の安定感と較べると、『シルヴァー・スクリーム』はより過激に、より先鋭に進化している反面、ある種の危うさも感じさせる。

『シルヴァー・スクリーム』には、原書刊行当時のモダンホラーにおける2つの大きな潮流が、顕著に現れている。1つは、第1回・第2回のブラム・ストーカー賞でベスト長篇賞を獲得したキングの『ミザリー』(1987)とトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(1988)のヒットによって起きた、サイコスリラー・ブーム。モダンホラー・ブームは本来、それまで大きなヒット作が少なかった超自然の恐怖を主題にした長篇小説が次々とベストセラーになっていくことで始まったのだが、このころからサイコ系の作品の比重が増えていった。『シルヴァー・スクリーム』収録作のうち約4割は、超自然的要素のないサイコスリラーもしくはサスペンス系の小説である。しかも、そちらの方が超自然系の作品よりも、水準が高いものが多い。

 もう1つは、スプラッターパンク。暗示を積み重ね徐々に恐怖感を盛り上げる伝統的な怪奇小説の手法を生ぬるいと排斥し、過激なスプラッター描写で読者の常識に揺さぶりを掛けることを目指すという趣旨の運動で、本書の編者デイヴィッド・J・スカウはその父親とも称される人物である。本書の収録作は、スプラッターパンク派には属しない作家のものもあるが、ほとんどがあからさまな残虐描写が容赦なく盛り込まれているので、気の弱い読者は一定の覚悟が必要となる。これら2つの潮流は、結局はモダンホラーの凋落を押し止めるには至らなかったものの、爛熟したブームの副作用というべき粗製濫造とマンネリ化を打開する可能性として、当時は期待されていたのである。

 このアンソロジーの主題である映画への愛をよく表明している作品としては、まずロバート・R・マキャモンの「夜はグリーン・ファルコンを呼ぶ」を挙げねばなるまい。年老い落ちぶれた連続活劇のヒーロー俳優が、再びヒーローの衣装を身にまといシリアルキラーに立ち向かう姿をコミカルに描きつつもホロリと泣かせ、抜群におもしろい。ところが、もとより恐怖を狙っていない人情物サスペンスというべき作であって、スプラッター味もごく薄い。これをホラーと呼ぶのは、さすがに抵抗を感じずにはいられない。

 本書のサイコ系作品でもっとも優れているのは、スティーヴン・R・ボイエットの「アンサー・ツリー」だろう。映画作家の狂気が遺作のフィルムを通じて研究者に伝染していくという物語なのだが、超自然的な呪いが働いているわけではなくて、ただ映像の力だけで狂わされていく。この言葉だけで再現された映像のイメージが実に忌まわしく、まるで紙面から狂気が染み出してくるかのようだった。驚嘆すべき筆力である。しかし同時に、ある戸惑いを禁じ得なかった。危険な内容の映画が受け手の心をも侵す。映画を主題としたホラーとしては魅力的な題材だし、ホラー愛好家であればるほど心騒がされずにはいられない。だが、これはホラー・バッシングの理論にも近接しているのではないか。

 本書では「アンサー・ツリー」の他にも、レイ・ガートンの「罪深きは映画」、ジェイ・シェクリーの「バーゲン・シネマ」、ジョー・R・ランズデールの「ミッドナイト・ホラー・ショウ」、リチャード・クリスチャン・マシスンの「サイレン」といった、「危険な題材の映画は、受け手を危険人物にする」または「危険な題材の映画を愛好するのは、危険人物である」という趣向の作品がいくつかある。それぞれに恐怖小説としてはたいへん優れており、読者の常識に揺さぶりを掛けるというスプラッターパンク派の狙いを、よく体現しているといえよう。それだけになおさら、ホラー・バッシングとの関連をどうしても意識してしまうのだ。一方で、ダグラス・E・ウィンターの「危険な話、あるいはスプラッタ小事典」は、ホラー・バッシングも社会的な暴力ではないかと訴えている。こちらは構成の妙で読ませるものの、良識的すぎてホラーとしてのインパクトには今ひとつ欠けていた。

 ホラーの魅力をとことんまで突きつめていくと必ず、惨劇を楽しむということに行き当たる。スプラッターパンク派の作家たちは、バッシングを呼び込む危険を敢えて冒しつつも、そこから目を逸らさなかったのだろう。『シルヴァー・スクリーム』には、モダンホラー・ブームが一つの曲がり角に差し掛かりつつあった時期の「ホラーとは何か」「ホラーはどこに向かうべきか」という作家たちの問い掛けが、生々しく息づいている。

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