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2012/12/09

『Obsession』ラムジー・キャンベルのこと

 今年の夏、扶桑社ミステリー文庫から『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』[Amazon]というアンソロジーが出た。書名から察せられるように、ジョン・W・キャンベルの「影が行く」はクトゥルー神話として読めるのではないかという主旨で編纂された本である。まじめな読者の中には「いくらなんでもむりやり過ぎる」と鼻白む方もあるかもしれないが、クトゥルー神話自体もお遊びなのだから、こういう企画もおもしろいのではないだろうか。ただ、こういうコンセプトなら、併録するラヴクラフト作品は「クトゥルフの呼び声」ではなく、やっぱり「狂気の山脈にて」にすべきではないかと――いや、そんなことはどうでもいい。それよりなにより、このアンソロジーにはキャンベルつながりで(?)ラムジー・キャンベルの初期短篇が何と5つも収録されているのである。

 ラムジー・キャンベルは英国モダンホラー界の重鎮と呼ぶべき作家であるが、どういうわけか邦訳に恵まれないままになっている。Wikipediaに経歴や作品一覧があるのでと、久留賢治氏作成の邦訳リスト)を比較してみて欲しい。短篇はそれなりに紹介されているものの、長篇はわずか2冊のみ。実力・実績に比して、あまりにも不遇であるというべきだろう。

 モダンホラー作家の中でも、ラムジー・キャンベルは私にとって特にお気に入りというか、彼の作に溢れている独特な恐怖が、個人的にとても肌に合うように感じる。その感覚は、キャンベルが1993年に作家生活30周年を記念して出版した短篇選集のタイトルである『Alone with the Horrors』というフレーズに言い尽くされるように思う。キャンベルの小説の登場人物たちは多くの場合、もともと孤独であるか、あるいは怪異との接触によって共同体から切り離されてしまい、襲い来る怪異と周囲の無理解の両方と独り戦うことを強いられる。しかも、しばしばそのどちらもがそもそも彼ら自身の内面や過去に深い関わりを持っていて、どう足掻こうと逃れられない。いつでもどこでも、私たちは私たち自身なのだから。

 キャンベルの作家としてのキャリアは、ラヴクラフトを模倣するクトゥルー神話作家の一人として始められ、なんとまだ18歳のときにアーカム・ハウスから処女短篇集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』(1964)を出している。しかし、彼はそこに安住することなく、M・R・ジェイムズの諸作から伝統的な怪奇小説の基本的作法を身につけ、ロバート・エイクマンから心理描写に重きを置いた恐怖醸成法を学び取っていった。さらに、現代のシカゴやサンフランシスコといった大都市が孕む闇から生まれる怪異を描くフリッツ・ライバーのスタイルを自信の故郷リヴァプールに当てはめ、独自の境地を切り開いたのである。したがって、キャンベルの個性が最高度に発揮された作品では、ジェイムズ風の漸強法とエイクマン風の朦朧法が巧みに組み合わされることにより、都市生活者の不安な内面と不穏な外界が融け合わさるかのように恐怖が高められていき、パルプホラー的な情け容赦ない惨劇に至るという、まるでホラー史のすべての成果が凝縮されたかのような世界を目の当たりにすることになる。

 1998年に、『幻想文学別冊 モダンホラー・スペシャル』[Amazon]で石堂藍さんに「何か単独の原稿を書いてみませんか」と初めて声を掛けていただいたときに、私はキャンベルの魅力を広めたくて「新しい恐怖の地平――ラムジー・キャンベルのThe Infuluenceを読む」というキャンベル論を書いた。それから14年が経ったわけだが、その時点からキャンベルの邦訳紹介は悲しいぐらいにほとんど進んでいない。特に、長篇の邦訳が乏しいままなのは惜しい。ある心理学の実験を受けた被験者たちの夢が現実と混淆していく恐怖を描いた大作『Incarnete』(1983)[Amazon]や、ベラ・ルゴシとボリス・カーロフが共演する幻の怪奇映画の探索が現代に伝わる古代の邪教につながっていく『Anciant Images』(1989)[Amazon][kindle]あたりなどは、きっと日本の読者にも好評を博すはずだと思うのだが。

 今回『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』で5つもの短篇が邦訳されたのは、クトゥルー神話への関心があればこそだろう。彼が創造した邪神や魔道書がロールプレイングゲームに採用されているせいもあるのか、クトゥルー神話ファンの間ではキャンベルの知名度は比較的高かったらしい。ネットでの評判を見ると、今回の邦訳もクトゥルー神話ファンにはおおむね好評のようだ。ファンとしては、どんな形であれキャンベルの紹介が進むのは嬉しい。『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』の編者尾之上浩司氏と版元の扶桑社には心から感謝している。

 だがしかし、ほんとうに申し訳ないけれど、ファンなればこそのわがままというのも押さえきれないのである。今回訳出された5篇はすべて、処女短篇集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』から採られている。キャンベルのキャリアからいうとまだ十代の習作に当たり、クトゥルー神話としては一定のレベルに達しているものの、キャンベルの独自性がまだ充分に発揮されてはいない。だから、このアンソロジーで初めてキャンベルに触れた読者に「キャンベルってこんなものか」と侮られてしまうのではないかと、心配でならないのである。もちろんクトゥルー神話絡みの企画だからこそ出版できたのだろうが、せめて第二短篇集『Demons by Daylight』(1973)以降から選んでほしかった。

 とはいえ、今回の邦訳は私のキャンベル熱を再燃させてくれ、おかげで久しぶりに彼の未読の長篇を読むことができた。1985年に発表された『Obsession』[Amazon][kindle]である。これはジャック・サリバン編『幻想文学大事典』[Amazon]に「『猿の手』のヴァリエーション」と紹介されており、なんとなく敬遠していたのである。――そう、怪奇小説研究者として我ながらいかがなものかと思うのだが、実は私、「猿の手」タイプの物語が苦手なのである。登場人物が愚かだからこそ物語が成立しているところが、読めば読むほどいらいらがつのるし、作者の意図があまりにも見え透いて不自然に感じるのである。『ドラえもん』などは、はっきりいって嫌いだ。ある種の様式美だということは理解しているものの、延々それに付き合い続ける気力は私にはない。さて、キャンベル版「猿の手」は果たしてどうだったか?

 1958年。ノーフォークの港町に住む少年ピーターは「あなたのもっとも望むことを叶えます」と書かれた、差出人不明の手紙を受け取る。代償は「あなたにとって価値がなく、いずれは取り戻せるであろうもの」。要望を書き込むフォームが同封されていて、返信先はロンドン市内のどこかになっている。ピーターはその手紙の写しを作って3人の友人に与えた。それぞれに悩みを抱えていた彼らは、疑いながらもフォームを返送し、願いはただちに実現する。ジミーは、ギャンブル狂の父親が、サッカーくじで大当たりを獲る。スティーヴは、彼ををいじめていた教師が心臓発作で倒れる。レイチェルは、シングルマザーの母親に言い寄っていた同僚が交通事故死する。ピーターは、家族にうるさく干渉する祖母がピーターの不注意がきっかけで階段から落ち、首の骨を折って死んでしまう――。

 25年後、4人は成人後も同じ町に住み続けていた。ジミーは警官となり、スティーヴは家業の不動産業を継ぎ、レイチェルは開業医となった。自分のせいで祖母が惨死したトラウマに悩み続けるピーターは、罪滅ぼしに人を助ける仕事を選び、役所で福祉のケースワーカーを務めている。互いに疎遠になっていた彼らの運命は、まるで何かに操られるように再び絡み合い始める。レイチェルは、麻薬捜査官から薬物を不正に横流ししているのではないかとあらぬ疑いを掛けられる。レイチェルの潔白を信じるジミーは彼女を助けようとするが、痴呆の始まっているレイチェルの母が嫌疑は事実だとあちこちで騒ぎ立てたため、レイチェルは社会的信用を失っていく。そこへ、閉鎖されたまま放置されている映画館で階段が崩落し、ジミーの妻が意識不明の重体となる事故が起きる。その映画館はスティーヴの会社の管理物件で、彼の会社は事故の責任を追及され、顧客が離れていく。そしてピーターの目の前には、彼を責め立てるように祖母の幽霊が姿を現す。ピーターは、4人に降りかかった災厄が25年前の代償に違いないと確信し、手紙の送り主を突き止めようとするのだが……?

「猿の手」とは違ってこの小説で描かれる災厄は、ほとんどが合理的に説明可能な範疇に止められており、はっきりと怪異を目にするのはピーターただ一人である。ところが彼は、少年の時からの怪奇小説ファンで、ストレスに晒されるとひどい頭痛の発作に襲われる、夢見がちで極度に情緒不安定な人物という設定になっている。そのために読者は、手紙は単なるいたずらで、すべてがピーターの妄想に過ぎないのではないのかという疑わずにいられなくなる。その一方で、ピーターを襲う怪異はあまりにも生々しく、他の3人を見舞う災厄は偶然にしてもあまりに不幸すぎるので、何かの力の介在を感じずにもいられない。合理的な解釈と超自然の恐怖の間で、読者は戸惑い続けることを強いられる。

 実はこのもやもや、最後まで読んでも明確には解決されないのである。ひょっとしたら「猿の手」の明確さを好む読者は、曖昧すぎると不満を抱いてしまうかもしれない。だが、現実とはそのようなものではなかったか。「猿の手」のいかにもお話臭いところが苦手な私には、この不明瞭さこそがキャンベルの狙った、ある種のリアリズムなのではないかと感じられた。あるいはこれは、「猿の手」よりもスティーヴン・キングの『クージョ』などに近く、世界そのものが本来的に孕む残酷さと戦い続けなければならない人間の姿を描いたホラーであると言えるかもしれない。

 作者あとがきによると、この長篇の執筆中のタイトルは「For the Rest of Their Lives」であり、版元の意向で「Obsession」に変更されたのだという。キャンベルは、当初はブライアン・デ・パルマの映画『愛のメモリー』(原題が「Obsession」)を連想させるのではないかと抵抗を感じていたのだが、ある辞書に「しつこい攻撃、特に邪悪な霊によるもの」「自分の意思に逆らい、心の中で病的に粘着し続ける概念」との語義を見いだし、作品の内容にふさわしいと思うようになったとのこと。

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