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2012/09/30

『ナイトランド』第3号と那智史郎

 今春、衝撃的に創刊された海外ホラー&ファンタジー専門誌『ナイトランド』も、気がつけばもう3号目。当初はクトゥルー神話中心だった翻訳小説の掲載作が、号を重ねるほどに幅を広げていっているのは喜ばしい限りである。しかし、私にとって今号の目玉は、昨年夏に亡くなったホラー翻訳・研究家那智史郎を偲ぶ2つの記事であった。1つは笹川吉晴が那智の業績を詳述した「向こう側の世界へ――夕ぐれの散歩者」、もう1つは朝松健が那智との交流を振り返った回想録「那智史郎さんのこと」。レイ・ブラッドベリの追悼特集に添えるかのように載せられているのだが、おそらく今後とも他誌ではこれだけ大きく那智史郎のことを取り上げるたりしないだろうし、いっそのことブラッドベリなんて超メジャー作家は他誌に任せておいて、大々的に那智史郎追悼特集をぶちあげてもよかったのではないか。

 那智史郎というと、クトゥルー神話と『ウィアード・テールズ』系パルプホラーの邦訳紹介者という認識が一般的であろう。私も彼の名を知ったのは、国書刊行会のアンソロジー『真ク・リトル・リトル神話大系』第1、2巻(1982)によってであった。当時高校生であった私はこれらによってその後の読書傾向を決定づけられたようなもので、それから大学時代にかけては文字通りのクトゥルー漬け。大学のサークルのたまり場で、買ったばかりの『真クリ』シリーズの続刊を広げていて、ある女性の先輩に「そんなものにお金をつぎ込むぐらいなら、『世界幻想文学大系』でも買えば?」と、言われたこともあった。

 知名度では『真ク・リトル・リトル神話大系』全10巻に譲るものの、書物としての完成度では『ウィアード・テールズ』全5巻(1984-85,国書刊行会)もすばらしかった。作品の邦訳にとどまらず、パルプマガジンの実物を手にした瞬間の感動を少しでも分かち合いたいという趣旨で、判型・装丁に挿し絵や広告まで再現してしまったという、ある意味究極というべきアンソロジーである。前記の朝松健の回想によると「世間的には全く評価されなかった」とのことだが、私は熱狂した。

 かように私に多大な影響を及ぼした『真ク・リトル・リトル神話大系』シリーズだったが、ただ一つ納得できないところがあった。「白蛾」と号の入った那智史郎による挿し絵である。当時でも商業出版ではおよそあり得ないような古めかしく泥臭い画風で、学生にとっては高価で贅沢な箱入りのがっしりしたハードカバー本を飾るにしては、あまりにも稚拙に思われたのである。不満というよりも、「どうしてこんな絵を付けるのだろう?」とただただ不思議でならなかった。

 その疑問は後年、思わぬところで氷解した。『日本幻想作家事典』の作業のために国産幻想映画・ドラマに関する資料を漁っていた私は、またもや那智史郎に導かれることになった。戦後間もない時期の大映の現代スリラー路線を包括的に語った『大映戦慄篇 昭和二十年代探偵スリラー映画』(2003,ワイズ出版)[Amazon]と、劇場版『笛吹童子』に始まる東映の連続活劇映画「娯楽版」シリーズを論じた『東映娯楽版コレクション 戦慄と冒険の映画王国』(1999,ワイズ出版)[Amazon]の2冊である。前者はそれまでほとんど時代劇ばかりだった国産ホラー映画が現代物に乗り出すきっかけとなり、後者は時代劇の伝統から後の特撮変身ヒーロー物を生み出す母体となったシリーズである。ともに国産幻想映画史上きわめて重要な位置を占めるものであるはずなのに、これまで日本の映画史研究ではほとんど無視され続けてきた。それぞれを映画史上の一つの潮流として捉えて本格的に紹介したのは、おそらくこれらの那智史郎による研究が初めてだったのではないか。私は「あの那智史郎がこんな仕事もしているとは」と意外に思いつつも、その慧眼に大いに啓発された。

 大映の現代スリラー路線や東映娯楽版が映画史研究で冷遇されてきた理由は、はっきりいってしまえば個々の作品の質があまり高くないからである。語るに値しないものだと見なされたのだ。那智史郎にしても、これらを名作と持ち上げているわけではない。ここはちょっと……などとあれこれ文句を付けつつも、愛すべきB級作品として紹介しているのである。上記二著には映画公開時の広告がふんだんに掲載されており、特に大映現代スリラー映画の広告は、時代が近いせいもあって那智が邦訳紹介したパルプ・マガジンの誌面に似通った、バタ臭くどろどろした雰囲気がある。そういえば、嵐寛寿郎が幽霊となって宙を飛ぶ『白髪鬼』(1949)といい、ゴリラに噛まれた岡穣二が獣人と化す『鉄の爪』(1951)といい、大映の現代ホラー映画のバタ臭く荒削りな味わいは、日本の伝統的な怪談と隔絶しているのみならず後の国産現代ホラーにも見られないもので、パルプホラーのそれに近しいといえるのではないか。

 ここに至って、私はようやく気づいた。那智史郎が『真ク・リトル・リトル神話大系』に付した自筆画は、こうした味わいに対するこだわりを意図的に表現しようとしていたのだと。那智にとって、パルプホラーを飾るのは、現代風に洗練されたイラストではだめなのであり、懐かしくも泥臭いイラストこそがふさわしい。装丁と誌面を完全再現しようとした『ウィアード・テールズ』全5巻にしても、そうした那智史郎のこだわりの結晶だったのだ。

『ナイトランド』第3号に朝松健が寄せた「那智史郎さんのこと」には、90年代末に国産ホラー小説をジャンルとして確立させようとしていた朝松健に対し、那智史郎が「今のホラー小説はつまらない」とこぼしたというエピソードが紹介されている。当然、朝松はそんなことはないと反論したのだが、那智はそれに対しては反駁せず、それきりになってしまったという。このくだりを読んだ途端、私は反射的に「惜しい!」と思った。那智の反応はいわゆる立派な大人の態度であって、朝松健との友情のあり方に、私のような第三者がとやかくいう筋合いはもちろんない。だが、こうした対立こそが、新しい何かを生み出すことにつながる場合もあるはずだ。朝松らの尽力は功を奏し、後に国産ホラー小説は大きな花を咲かせた。しかし、もしもこのときの那智史郎の違和感が朝松とともに突きつめられていたなら、ひょっとしてその花に何かまた違う彩りが加えられていたのではあるまいか。

 国産ホラー小説ブームは、ホラーを娯楽小説のジャンルとして定着させるという大きな成果を見事に挙げたものの、後に続く怪談ブームに吸収されたというのが偽らざる現状であろう。よくもわるくも、日本はやはり怪談の国であった。那智史郎がブーム初期の国産ホラー小説に抱いた違和感とはどのようなものだったのか、それはもはや知りようがない。だが、パルプホラーや大映現代スリラーといった彼が偏愛した作品たちの味わいからして、那智史郎のこだわりが日本の怪談文化に収まりきらないところにあったのは、間違いないように思うのである。

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