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2012年7月の記事

2012/07/14

『コナン・ザ・バーバリアン』

 テアトル梅田で『コナン・ザ・バーバリアン』を見た。なんと、公開初日なのに20:55からのレイトショーしかないのである。アメリカ本国での評判がさんざんだったせいらしいが、それにしてもあのコナンが……と悲しくなってしまった。で、実際に見てみると、それも仕方ないのかもと思わせる出来の映画だったので、またまた悲しかった。

 主演のジェイソン・モモアについては、原作に馴染んでいる観客であれば、『コナン・ザ・グレート』のシュワルツェネッガーよりもコナンらしいと感じるのではないだろうか。シュワルツェネッガーは逞しすぎて力押し一辺倒というか、原作のコナンが持っている俊敏さをやや欠くところがあったが、モモアはまるで豹のようによく走り飛び回り、狡猾な雰囲気があるところがよかった。

 それはもちろん、撮る側のサポートがあればこそであって、アクション演出に関しては『コナン・ザ・グレート』とは比較にならない多彩な技闘が楽しめる。残虐度も大幅にアップしており、気の弱い観客なら目を背けるような描写が続出であった。ただ、CGに頼って派手にし過ぎ、なんだかマンガじみているので、生の迫力で押していた『――グレート』の方を好む方もあるかも知れない。

 困ってしまうのは、そもそもストーリーがつまらない上に脚本も演出も散漫であることだ。これは『――グレート』もそうだったけど、またもや親の仇討ちの話なのである。原作のコナンは、どこからともなく現れて、破壊と殺戮の嵐を巻き起こし、またいずこかへ去ってしまう――危険きわまりない風来坊なところが魅力なはずなのに、親の仇討ちなんて白けることこの上ないのである。

 それでも『コナン・ザ・グレート』には、ニーチェの言葉が引用される幕開けから、魔道士タルサ・ドゥームの紋章(これ!)の大写しにベイジル・ポールドゥリスによる勇壮なテーマ曲が鳴り響くエンディングまで、強大ななにかがずんずんと押し進んでいくような、全編を貫く勢いがあった。それはハッタリではないかと言われれば、実際そうなんだけど(笑)、なにか分からないがとにかく凄いものを見たというような気にさせるところが確かにあったのである。当時高校生だった私は完全に酔わされてしまい、「欠点だらけの映画じゃないか」と思いつつも二番館まで追っかけて『――グレート』を繰り返し見てしまった。だが、今回の『コナン・ザ・バーバリアン』にはそういう無闇な勢いが、もう悲しいぐらいに、ない。

『――グレート』ではふつうの子供に見えた少年コナンが、この映画では大人の戦士数名を平然となぶり殺してしまい、生首を村に持ち帰る。しかし、父はそんなコナンに満足せず、「しならない剣は折れる」「剣を鍛えるには炎と氷の両方が必要だ」と教育を始める。これが後の展開の伏線になるのだろうと思っていたら――なーんにもフォローがないですよ。親の仇討ちの話なのに!

 今回の悪役は、世界を支配する魔力のある仮面を復元しようと画策している男――なんだけど、ついでに火あぶりにされた妖術師の妻を復活させようともしていたりして、ちょっと女々しい。妻の能力を受け継いでいる娘を随えていて、彼女の方がとことん凶悪な感じでさわやかなキャラクターだった。親父は剣の達人、娘は砂から生まれるゾンビみたいな戦士を繰り出す術を使えて、コナンは苦戦する。なのに最後の決戦では、娘は妖術を使わず『エルム街の悪夢』のフレディーみたいな鉄の爪だけでコナンに立ち向かい、親父は仮面を復元していながら魔力を嫁さんの復活にしか使わず、どちらも当然のようにコナンにやられてしまう。ふつうは敵味方ともパワーアップして決戦させるでしょ!

 以上のような調子で、せっかく盛り上がり掛けても後が続かなくてがっかり、というのがこの映画では連発されるのである。もしこれが、コナンの映画ではなく、コナン・ブームに便乗して作られたB級映画だったりしたら、そこそこ楽しめたかもしれないのだが……。いやそれよりも、親の仇とか関係ないまったくの風来坊のコナンが、この女々しい悪役の地道な努力をすべてわやくちゃにしてしまい、哄笑しつつ立ち去るという映画にしてくれたら最高だったんだけど、そういう企画は無理ですかねえ。

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2012/07/08

『霧の夜の恐怖』と『山霧の深い晩』

 怪談専門誌『幽』第17号(メディアファクトリー)の山田誠二氏による連載「怪談映画語り」第7回を読んでいて、思わず身を乗り出した。1951年の大映映画『霧の夜の恐怖』が取り上げられていたからである。もっとも、この記事のメインは山田氏のご専門である大蔵怪談映画の一本『怪談異人幽霊』の紹介であって、『霧の夜の恐怖』については現代を舞台にしたホラー映画の先駆の一つとしてごく簡単に触れられているだけにすぎない。とはいえ、大手出版社の雑誌でこのような知る人ぞ知るマイナー作品を取り上げるのは『幽』ぐらいのものだろうな、と感心してしまったのである。

 この映画については、私も『日本幻想作家事典』の巻末付録「怪奇幻想映像小史」で言及している。だが、残念ながら紙幅の都合で、当時調べた諸々のうちいくらも触れることができず、少々悔しい思いが残ったのだった。せっかくの機会なので、ここでフォローしておくことにしようと思う。

 ご存じの通り、かつて日本のホラー映画のメインストリームは時代物の怪談であり、歌舞伎や講談といった伝統芸能から題材を得て、同じ話のバリエーションが延々と作り続けられてきた。特に戦前には、現代物のホラー映画は先にこのブログで取り上げた『都会の怪異七時〇三分』(1935)のような試みがごく散発的に現れたのみであった。現代物のホラー映画が一つの路線として定着したのは戦後になってからのことであって、その先陣を切ったのは『白髪鬼』(1949)、『鉄の爪』(1951)、そして『霧の夜の恐怖』、以上3本の大映映画である。

 終戦直後のGHQの統制下では、封建的という理由で娯楽時代劇映画の製作が制限されていた。そこで、時代劇を得意にしていた大映は、現代劇のスリラー路線に活路を見出そうとした。その中で、上記の3本のように超自然の領域に踏み出す作品も現れたのである。しかし、時代劇の復興に伴い現代劇スリラー路線が縮小されてしまい、この試みは後が続かなかった。現代劇のホラー映画が本格的に定着し始めるのは、この後新東宝・大蔵の怪談路線の登場によってであった。

 上記3本の大映現代ホラー映画のうち純粋なオリジナル作品といえるのは、南洋でゴリラに噛まれたために獣人化する特異体質となった男の悲劇を描いた『鉄の爪』のみである。『白髪鬼』は江戸川乱歩の同題ミステリ長篇を幽霊譚に仕立て直した(おそらく乱歩に無断で!)ものであり、『霧の夜の恐怖』は、北条秀司の脚本によるNHKのラジオドラマ「山霧の深い晩」の映画化であった。

『鉄の爪』はかつてVHSとレーザーディスクでソフト販売されており、『白髪鬼』はいまはなきホラーTVで放送されたことがあるので、これら2本についてはそれなりに知られている。だが、『霧の夜の恐怖』だけは、ソフト販売はおろかリバイバル上映もテレビ放映も、とにかくこの映画を見たという話をとんと聞かない。昭和20年代の大映スリラー路線の包括的な研究書である那智史郎『大映戦慄篇 昭和二十年代探偵スリラー映画』(2003,ワイズ出版)では、詳しい紹介もないまま「怖くないスリラー」の一言で片づけられているし、戦後の国産特撮・幻想映画のリストとしてはもっとも広範に網羅している『日本特撮・幻想映画全集』(2005,朝日ソノラマ)ではスチール写真を『白髪鬼』と取り違えて掲載されているし、戦前からの国産怪奇映画の流れを追った文献としては最高峰のものである泉速之『銀幕の百怪 本朝怪奇映画大概』(2000,青土社)のリストでも題名を『霧の中の戦慄』と誤記されているし(ただし著者泉氏は、誠実にもご自分のサイトで正誤表を公開されている)、まるで呪われているかのように不遇なのである。

 こうなると、公開当時の宣材や新聞、雑誌等の二次資料から間接的にいったいどういう映画であったか探っていくしかないのであるが、さいわいにも『キネマ旬報』が当時の映画紹介ページのデータを電子化してネットで公開してくれているので、作品評こそないが比較的詳しいあらすじを知ることができる。まずはこちらをごらんいただきたい(ついでながら付記すると、このデータベースで見る限り、山田誠二氏が「怪談映画語り」で『霧の夜の恐怖』と並ぶ現代ホラーの先駆として言及されている佐々木康監督の『魔の口紅』(1949)は、怪談ではなく犯罪ミステリのようだ。この映画は、今年の3月に神戸映画資料館で上映されている)。

 障害ある恋に悩む外科医と看護婦。交通事故で足を痛めたために将来に絶望したバレリーナとその恋人。二組のカップルのうち後者は心中を実行しバレリーナは命を落としてしまう。しかし、彼女の霊は看護婦の命を救う――題名に「恐怖」とあるからには何らかの恐怖演出もあったのだろうが、メロドラマ色が濃いジェントル・ゴースト・ストーリー的な作品だったようだ。なんとか現物を見てみたいものだが、果たしてフィルムが現存しているのだろうか……。

 ところで、実はこの映画の原作であるNHK製作のラジオドラマ『山霧の深い晩』(1949)はまったく趣が違い、ただひたすらに恐怖を追い求めた本格派の怪談劇であった。北条秀司による脚本は、『NHK放送劇選集』第3巻(1953,日本放送出版協会)もしくは『北条秀司ラジオ・ドラマ選集』(1952,宝文館)で読むことができるので、ここでは前者に拠って概要をご紹介しよう。

 電話で本社に第一報を伝える新聞記者の台詞で、ドラマは幕を開ける――箱根山中の温泉のホテルで、男と女が血まみれで倒れ、呻いているのが発見された。状況からは女の方が男を鋭利なナイフで刺し、その後自らの胸を一突きしていることが察せられ、無理心中も疑われる。女は足が悪く、白いハイヒールを履き松葉杖をついて歩いていたのが目撃されている――。

 二人ともまだ息はあったが危篤状態であり、女はもう助からないのではないかと思われた。そこで急遽男だけが病院に搬送された。医師がトイレへ用足しにいったわずかの間、新聞記者は女と部屋に二人きりになった。そのとき、ふっと女の意識が戻り、男の名を呼んだ。記者が、男は病院に搬送されていったことを告げて女を励ますと、女は「一人では死ねない」と呻き始める。

「駄目……孝夫さん……死ななくちゃいや。……一緒に死ななくちゃ……(中略)もし死ななかったら、……呪い殺してやるから、きっと、……呪い殺して……」

 すさまじい呪詛を吐いて、女は息絶える。

 記者が病院に到着すると、看護婦たちが搬入された男の妻の態度について愚痴をこぼしていた。水を飲ませてはだめだといくら説明しても聞き入れず、何度も水をくれと詰め所へ電話してくる。とうとう「これから自分で取りに行くから」と言い出した、と。どんな容貌の女性かと問うた記者は、看護婦の答えに青ざめる。足が悪いらしく、白いハイヒールに松葉杖だったというのだ。そのとき、廊下からコツ、コツ、と松葉杖の音が響いてくる。ついに扉がノックされ始めた次の瞬間、本物の妻が到着したことを告げる電話が掛かってきて怪音は霧散する。

 しかし、本物の妻の周りにも、怪しい気配がつきまとった。松葉杖の音、すすり泣く声……たまりかねた妻は夫を自宅に連れ帰ることを申し出る。医師は半信半疑ながら、妻がひどく憔悴しており、記者と看護婦たちの口添えもあったため申し出を承諾した。

 夫婦と記者を載せた自動車は、山霧の立ちこめる深夜に病院を出発する。しばらくは何事もなかったが、ふいに運転手が急ブレーキを踏む。松葉杖をついた女が、前を横切ったというのである。運転手は車を降りて周囲を確認するが、誰もいない。ふたたび車を走らせ始めた直後――。

運転手「あ、また見えた。ご覧なさい。松葉杖をついているでしょうが」
記者「駄目だ。誘導されちゃ駄目だ。早く停め給え」

 恐怖のあまり、妻は気を失ってしまう。ちょうど近くに茶店があったので、記者と運転手は彼女をそこへ運び込む。すると、夫が独り横たわっているはずの車が、動き出す音が聞こえてきた。慌てて飛び出した二人は、車に女が乗っているのを目撃する。車は崖から飛び出すと、ものすごい音を立てて谷底へ転落していった。記者は呆然とつぶやいた。

「……とうとう連れて行っちまった」

 いかがだろう。私の拙い要約でも、聴取者に音のみが伝えられるラジオというメディアの特性を、最大限効果的に使い切ることを狙った本格派怪談劇であることは、お解りいただけたのではないだろうか。どうしてこれが映画化に際して、メロドラマ風のジェントル・ゴースト・ストーリーに改変されてしまったのか? あるいは、もとの脚本・ストーリーでは映画としては尺が足りなかったせいかもしれないが、それにしてもこれほど怖いドラマを原作にしていながら、と思わずにいられない。

 このドラマは1949年8月18日の初放送時にたいへんな好評を得たようで、『NHK放送劇選集』の解説文によると、「この放送劇を聞いた聴取者は、怖ろしくて途中で何度もスイッチを切ったということである」という。せっかくなので、初放送時のキャストとスタッフも書き写しておく。

新聞記者 東野英治郎
病院長 三島雅夫
看護婦 望月美恵子
ホテルの支配人 藤原釜足
女 堀越節子

脚本 北条秀司
演出 山口 淳
音楽 服部 正

 この後、『山霧の深い晩』は何度か再放送・再製作されているらしく、1965年にはフランキー堺が主演する新版が製作されている。また、1953年にはテレビドラマ化されている。さらに、2008年には朗読劇として上演された。ラジオが生んだ、知る人ぞ知る名作怪談劇というべきだろう。

 良くも悪くも伝統が重んじられた映画界と違って、ラジオやテレビでは現代物の怪奇幻想ドラマが早くから盛んだった。初期のテレビドラマについては、私も『日本幻想作家事典』でごくわずかながら取り上げたが、ラジオドラマに関してはまったく手を出すことができなかった。

 今回参照した『NHK放送劇選集』第3巻でも、「山霧の深い晩」のほかに、母を懐かしむ浮浪児の幻想が都市伝説騒動を巻き起こす飯沢匡の「数寄屋橋の蜃気楼」や、戦前の台湾を舞台に夢見がちな日本人少年が古城のオランダ人幽霊の呼び声に惹かれていく菊田一夫の「ゼェランジャ城の幽霊」、古屏風に張り付けられた写真の女との奇妙な交情を描いた伊馬春部の「屏風の女」といった、幻想的なドラマ脚本がいくつか収録されている。これらはみな、放送当時に秀作と評価されたからこそ、選ばれたはずなのである。また、戦前には火野葦平の「怪談宋公館」がラジオドラマ化され、戦後にかけて繰り返し再演される定番の題材になっていたとも聞く。1950年代までのラジオの影響力は絶大なものがあり、ラジオの怪奇幻想劇の実態を解明していくことは、今後の日本怪奇幻想文学史研究の重大な課題の一つとなるのではないだろうか。

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