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2010年7月の記事

2010/07/31

2010年7月の読了書から

 激安AndroidタブレットEken M001を買った第一の理由は、国会図書館近代デジタルライブラリーの電子書籍を快適に読めるのではないかという期待であった。近代デジタルライブラリーでは、蔵書をスキャンした画像データをJPEGもしくはPDFとして公開しているので、レイアウトは実物の本のまま変更できない。したがって画面の小さな端末では、まるで紙の本をルーペで読んでいるようでつらい。かといって、ノートPCやデスクトップPCで読むのも窮屈だ。本に近い感覚で読め、取り回しできる端末が欲しかったのである。

ここでポイントとなるのは、1行の表示領域がどれだけ確保できるかである。1行の端から端までが画面に収まっていないと、読み進むのにかなりストレスを感じる。つまり結局のところ、文庫をスキャンした電子書籍を読むにはほぼ文庫サイズの画面が要るし、新書をスキャンした電子書籍を読むにはほぼ新書サイズの画面が要るということだ。若い人たちなら、解像度が高ければ実寸より少々小さい画面になっても読めるのだろうが、老眼が始まっている私のような世代には実寸準拠でないとつらい。

 そういう意味ではIPadやKindle DXのような10インチ級の画面が理想だが、端末の寸法や重量がそれなりに大きくなってきて、取り回しや携帯性にやや難が出てくる。ぎりぎり許容できるサイズを検討した結果、7~8インチ程度ではないかと考えた。Eken M001の7インチ画面の長辺は約15cmと、おおよそ四六判の1行の印字長と同程度だから、これならまあ何とかなるはずだと。

 ところが、実際にはそう簡単にはいかなかった。近代デジタルライブラリーでダウンロードできるPDFは、JPEG2000形式の画像データから作られている。この形式のPDFを読めるビューアソフトが、Androidにはまだ無かったのである。仕方がないので、PCのブラウザに表示されるJPEG画像データを1枚ずつダウンロードした。この画像がまた、本の周りに大きな余白が入っているという代物なので、PCの画像編集ソフトで印字範囲のみになるようにトリミング。これをSDメモリーカードでM001に移して、画像閲覧ソフトで読むという方法を採った。画像のトリミングはVIXというWindowsの画像ビューアソフト、Androidでの閲覧はDroid Comic Viewerを用いた。結果はこのとおり。

M001

 準備に恐ろしくめんどうな作業が必要であり、M001のタッチパネルの精度が今ひとつで誤動作にいらつかされることもあるものの、PCの画面で見るよりはずっと紙の本に近い感覚の読書環境ができあがった。そこで読んだのが下記の3冊。

神田伯竜講演、丸山平次郎速記『豪傑児雷也』(大阪:中川玉成堂、明42.3)

神田伯竜講演、丸山平次郎速記『勇婦綱手』(大阪:中川玉成堂、明42.10)

神田伯竜講演、丸山平次郎速記『大蛇丸』(大阪:中川玉成堂、明43.3)

 前々月に読んだ『快傑自来也』が何だか期待はずれだったせいもあって、正調の児雷也が読みたくなったのである。この三部作は合巻の『児雷也豪傑譚』系で、書名の通り蛞蝓の綱手姫と大蛇丸が加わって三すくみの趣向となる。児雷也は盗賊ではあるが、その目的はお家再興のための軍資金集めにあり、弱きを助け強きを挫く義侠心を持つ。ストレートな悪役である大蛇丸の登場により児雷也はますますヒーロー化していき、最後には罪も許されて宿願を達成する。ヒロインの綱手姫は蛞蝓の術を使うのみならず、数人力の怪力を奮う。やたらと強いのに運命の人である児雷也にはデレデレというギャップが可愛らしい。まるで最近のマンガやアニメのヒロインみたいで、児雷也物も現代向けにアレンジすればけっこう受けるんじゃないだろうかと思った。

 この本に限らず、日本古来の怪談や伝奇物の概要を知るには、話し言葉で書かれており読みやすい講談速記本がもっとも手軽である。とはいえ、実物の古書はそれなりに高価だし状態が良くないものが多い。無料で電子書籍版が読める近代デジタルライブラリーは、実にありがたい。

 以下は紙の本。

佐藤至子『妖術使いの物語』(国書刊行会)[Amazon]
 日本の古典文芸・芸能に現れる妖術使いたちの姿を一般向けに概説したもの。「隠行の術」「飛行の術」「分身と反魂の術」というように見せ場としている術の種類によって系統を分けて紹介していて、たとえば「蝦蟇の術」の章を読めば、私が先月読んだ『快傑自来也』が天草四郎や天竺徳兵衛まで絡めた話になっていたのは、切支丹の妖術使いのイメージから蝦蟇の妖術使いが生ずる系譜を遡り統合する試みであったことが判る。平易な文章で書かれていて図版も多く、楽しくためになる本である。
『日本幻想作家事典』の伝奇時代劇映画/ドラマの項目は最終的にはSF系ヒーローへの推移に重きを置いた書き方にしたが、当初は主題別に系譜を追うことも検討していた。だが、かんじんの映画そのものの方が、こうした古典的な妖術師たちの系譜はほぼ戦前の映画で途絶えていてフィルムもほとんど残っていないため、断念したのである。同じ古典でも怪談物の主題は戦後までかなり受け継がれているのに、どうしてこうも差が生じたのだろうか。どうにか戦後も生き残ったといえるのは里見八犬伝と児雷也だけで、あとは全滅である。もちろんSFヒーローの台頭が一因となっているのだろうが、それにしてももったいないと思う。

大島清昭『Jホラーの幽霊研究』(秋山書店)[Amazon]
 Jホラー映画ブームから現代日本人の霊魂観を読み取ろうとしたもの。霊の実在を信じる一方で宗教による救済を持てないことが、Jホラーが得意とする止めなく増殖していく荒涼とした恐怖を生んでいるという指摘が興味深い。著者はそれを現代日本人の精神的な危機の現れと捉えている。とはいえ、霊魂の否定がただちに救いになるわけでもないし、いまさら宗教が救いになってくれるのかというと……。考えるほどに、ホラーとはまた違った寒々とした怖さに襲われる。

ステファヌ・オードギー『モンスターの歴史』(創元社)[Amazon]
 ヨーロッパを中心とした怪物に関する文化史──なのだが、空想上の怪物だけではなくて身体的な異常や精神的な病をもつ人々をも含む「異形の物」の文化史というべき本であった。広範な話題をうまくコンパクトにまとめているが、参考文献からの抜粋が巻末にまとめて掲載されている構成がちょっと読みづらい。

中島春雄『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』(洋泉社)[Amazon]
 ゴジラを始めラドン、バラン、バラゴンなど、東宝特撮映画で多くの怪獣を演じた俳優の自叙伝。着ぐるみ方式の怪獣特撮は、当然ながら演技者の巧拙によってリアリティに大きな差が出てしまう。全盛期の東宝に較べて以後の着ぐるみ怪獣特撮がどこも今ひとつ精彩を欠くのは、中島春雄に匹敵する着ぐるみ俳優を育てられなかったからでもある。本書はどうやら聞き書きをまとめたものらしく、たいへんくだけた文体で読みやすい。特撮の現場ばかりでなく、撮影所所属の大部屋俳優の日常がいきいきと語られており、日本映画が元気だった時代の貴重な証言となっている。
 ただし、いくらか誇張も混じっているようにも思う。たとえば、怪獣同士の殺陣について、著者は円谷英二がすべて自分に一任したという。おそらく実際にそういうカットもあったのだろうが、操演の絡む尾を使ったアクションや事前の準備が必要なミニチュア絡みのカットなどは、着ぐるみ演技者の一存で仕切れるはずがない。しかしまあ、これぐらいは自伝や聞き書きには付きもの危険というべきだから、それによってこの本の価値が減じるとまではいえまい。

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