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2010年2月の記事

2010/02/28

2010年2月の読了書から

恩田陸『私の家では何も起こらない』(メディアファクトリー)[Amazon]
 小さな丘の上に立つ幽霊屋敷を巡る連作短篇集。怪談専門誌『幽』に連載したものに、巻末の一篇が書き加えられている。屋敷に係わった人々の回想の物語がジグソーパズルのように組み合わさることで、怪異と惨劇が繰り返されてきた屋敷の来歴が朧気に浮かび上がってくるという、精緻な語りの技巧が楽しめる。

 著者はモダンホラー以前のゴースト・ストーリーへの思い入れを込めてこの連作を書いたというのだが、そのような過去への郷愁がベースになっているためか忌まわしい恐怖感はほとんどなく、むしろ優しく暖かい雰囲気すら漂っている。だが、扱っている事件そのものは悲惨極まりないので、ジェントル・ゴースト・ストーリーというのともまた違う。怪談そのものではなく、怪談への憧れを描いた幻想小説というべきか。

小林泰三『セピア色の凄惨』(光文社文庫)[Amazon]
 4枚の色褪せた写真を手にして探偵事務所を訪れた女性が、行方の知れない親友の調査を依頼する。この依頼人と探偵の対話と、探偵の調査報告が交互に綴られた、連作形式の長篇スリラーである。

 どういうわけか探偵は、写真に一緒に写っているほかの友人たちが偏執的な行動の果てにグロテスクな末路を遂げる有様を次々と女性に報告するばかりで、かんじんの親友の行方をいっこうに調査しようとしない。探偵が報告する惨劇の数々は、著者の人の悪さがにじみ出たほんとうにイヤな痛い話ばかりなので(誉めているのですよ)、心優しい読者諸氏は覚悟されたい。

 憤慨した依頼人は探偵を問いつめるが、その都度のらりくらりとした言い逃れにはぐらかされてしまって、延々とイヤな話を聞かされ続ける。冷静に考えればあり得ない状況なのだが、微妙に話題がずれ続けて噛み合うようで噛み合わない対話がそれを隠し続け、悪い夢を見ているような気分に読者を陥れるのである。小説ならではの高度にアクロバティックな仕掛けといえよう。

 ところが、著者は探偵に「わたしは終始正しい事を言っています。もし間違っているというのなら、論理的に反駁を試みてください」と言わせてしまった。残念だがここを読んだ瞬間に、私はすっかり夢から覚めて探偵の論理の粗を見るようになってしまったのである。そうなるともう、この小説の仕掛けは成立しなくなる。この一言が無ければ気持ちよく騙され続けたかも知れないのだが、まことに惜しい瑕瑾である。

飴村行『粘膜蜥蜴』(角川ホラー文庫)[Amazon]
『粘膜人間』で第15回日本ホラー小説大賞長篇賞を受賞しデビューした作家の第二作。現実とはちょっとずれた太平洋戦争中の軍国日本を舞台に、権力を傘に暴君のように振る舞う小学生の乱行と、蜥蜴人間が棲息する南方戦線のジャングルの物語が奇怪に交錯する、グロテスクかつスラプスティックなホラー長篇である。

 世評の高い作品だが、私はたいへん失望した。どうしてこんな、モラリスティックなぬるい結末にしてしまったのだろう? 悪の敗北で終わるにしても、たとえば『ヴァセック』などは悪漢同士が罵り合いながら地獄の業火に焼かれていったものだ。これではピカレスク・ロマンとしては、デビュー作より後退しているといわざるを得ない。まさかそんなことはあるまいと思うが、ひょっとして本気でモラルを問うているのだろうか? だとしたら、直接手を下さずに人を殺している罪が見逃されているのは納得できない。どちらにしても、中途半端ではないか。

 物語の大きな焦点の一つになっている少年暴君の失踪した母親の行方を巡る仕掛けについても、この私でもおおよそ見当が付いたぐらいだから、本格ミステリを読み慣れている読者ならかんたんに見抜くのではないだろうか。また、ネタバレになるのではっきり書けないけれど、母親があそこにいたのならこういう事態にはなり得ないのでは? と疑問に思う箇所もあった。それとも、母も所詮は息子と同じく悪人だったということなのだろうか。

 さらに些細なミスというべきかも知れないけれど、南方のジャングル探険パートで現地の大権力者の護衛が新米将校が率いるわずか3名だけで案の定窮地に陥るとか、イギリスの戦艦に「レオパルド」とドイツ語の名前を付けたりしているのも気になった。『粘膜人間』は現実とほとんど無縁の夢想のような物語だったが、今回は現実の戦争をベースに幻想を加味して当時の日本の帝国主義を揶揄しているだけに、こういうディテールの詰めの甘さも気になってしまう。遊びなら遊びで、もっと本気になって欲しいのである。

 少年暴君に仕える蜥蜴人間の奇妙なキャラクターや、巨大な食人虫が蠢く地獄のようなジャングルの描写などは魅力的で、著者が非凡なセンスの持ち主なのは間違いない。だが、だからこそもっと高みを目指して欲しいと私は思う。

倉阪鬼一郎『恐怖之場所 死にます』(竹書房文庫)[Amazon]
 独自に拾集した実話をベースにしたという怪談集。著者自身が枠物語の主人公となって、謎めいた美人不動産業者から彼女が扱った物件にまつわるエピソードを小説化したものを次々と読まされるという、倉阪らしく凝った構成になっている。

 内枠の物語は全体にニューロティックかつナスティな傾向が強いが、一方で直接的な描写を避けた静謐な怪談もあったり、怪談ならぬ猟奇スリラーまであって、バラエティに富む。いずれも著者独特の味付けをふんだんに施した上で小説化されており、原形の実話を推測することすら難しい。あくまで小説集として楽しむべき本だといえよう。外枠を構成する著者と不動産業者の対話は、創作メモあるいは怪奇小説談義としても読める。

 ちなみに作中で紹介されている、事件・事故物件を一旦所有名義を変えることで説明の要なしとする手口はかつて実際に横行していたようで、事情を知らずに買わされてしまった人もいるのだろう。しかし、この手口は法律で有効と規定されているわけではなく悪質な業者間で慣習的に行われていただけで、消費者契約法まで施行された現在ではまず通用しない。

 ただし、幽霊物件となると話は別で、現実に存在しないものについてはそもそも説明の義務がない。もし仮に物件に幽霊がいたせいで被害にあったとしても、賠償を求めるなら幽霊の実在を証明してみせなければならないのである。そんなことができたなら、家の一軒や二軒失ったって気にしなくていいほどの大金持ちになれることだろうが。

森真沙子『熱域─ヒートゾーン─』(小学館文庫)[Amazon]
 新刊時には見逃していたもので、巻末解説に人体自然発火現象を扱ったミステリーとホラーの境界領域の長篇だとあったので読んでみた。激しいヒートアイランド現象に見舞われている、近未来の東京。警察に追われて転倒したバイクが、ライダーから炎を発して燃え上がるという奇怪な事件が起き、死亡したライダーの姉である気象予報士が事故の真相を追う。

 発火の原因については一応合理的な仮説を提示しつつ、主人公が勤める気象予報会社と弟の生い立ちの背後に政治的な陰謀が浮かび上がるという社会派推理的な展開を見せていき、全体としてはSFがかったミステリになっていた。人体自然発火現象については話の枕に使っている程度で、ホラー的なおもしろさはほとんどない。あくまで手堅くまとめられたサスペンス小説として、一読の価値はあるだろう。

『カルティキ/悪魔の人喰い生物』(オルスタックピクチャーズ)[Amazon]
 これは書籍ではなく、DVDソフト。メキシコの古代遺跡の中にある湖から、伝説の人喰い怪獣カルティキが姿を現し大暴れするという、1959年のイタリア映画。菊地秀行が『怪奇映画の手帖』(アトリエOCTA)の中で熱く語っていたので、国内版DVDが発売されるのを心待ちにしていた方も少なくないのではないか。

 しかし、未公開のSF/ホラー映画には「憧れのままでいた方がよかったね」というしかないものも多く、残念ながらこの映画はその典型。何しろ、巨大な不定形生物であるカルティキはまるで雑巾に生ゴムを塗りたくっただけみたいな造形で、中に手を入れてゴソゴソやってるだけなのがはっきり判るというような代物。クライマックスでは戦車隊が出てきて「怪物を火炎放射で焼き払え!」となるのだが、戦車のミニチュアすら作っておらず市販のオモチャを使っている。砥石が仕組まれていてパチパチ火花を発するあれだ。無名時代のマリオ・バーヴァが特殊撮影を担当しているというのだが、とにかくしょぼい。遺跡の不気味なムードとか見るべきところもないではないが、過剰な期待を抱かずに接することをお勧めする。

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2010/02/18

『見霊者エイルマー・ヴァンス』

Aylmer Vance: Ghost-seer (Wordsworth Mystery & Supernatural)

 英米には古典怪奇小説の復刊に熱心な版元・叢書が複数あるが、中でも飛び抜けた廉価で目を引くのがWordsworth Editionsの「Mystery & the Supernatural」シリーズである。ページ数に関係なく1冊2.99ポンドという値段設定で、たとえばAmazon.jpでの取扱価格だと500円+税。最近出た『吸血鬼ヴァーニー』なんて1166ページもあってまるで辞書のようなのに、この安さ。実際読むかどうか迷うより、とりあえず買っとけ! といえる値段である。ラインナップについては、版元のホームページで左上の「Select A Book Category」というプルダウンメニューから「Mystery & Supernatural」を選べば著者姓のアルファベット順に見ることができる。定番の名作から知る人ぞ知るマイナー作まで他種多彩。高額な古書や少部数の復刻本でしか手に入らなかったものもあり、まことにありがたい。

 そういうわけで、私もとりあえず買っておいたものが読みもせず溜まってきている。そこで一番薄い本から挑戦しようかと、アリス&クロード・アスキュー(Alice & Claude Askew)という聞き覚えのない作家の心霊探偵物『見霊者エイルマー・ヴァンス』"Aylmer Vance:Ghost-Seer"[Amazon]全127ページを読んでみた。これが予想を上回る良作だったので、ご紹介しよう。

 この本は、アマチュア心霊研究家エイルマー・ヴァンスを主人公にした連作短篇集である。収録作は以下のとおり。

(1) The Invader
(2) The Stranger
(3) Lady Green-Sleeves
(4) The Fire Unquenchable
(5) The Vampire
(6) The Boy of Blackstock
(7) The Indissoluble Bond
(8) The Fear

 1998年にAsh-Tree Pressからも500部限定で刊行されていて、その時にはジャック・エイドリアンによる序文解説があったそうなのだが、徹底した廉価版の本書には裏表紙にかんたんな概要紹介があるばかり。仕方ないのでネットで検索して調べてみたところ、著者は1900年代の初めに夫婦で合作を発表していた大衆小説作家とのこと。代表作とされるものに、南アフリカの農園を舞台にした男女の愛憎劇『シュラムの女』"The Shulamite"(1904)がある。これはかなり評判になって演劇や映画にもなり、映画版『銃口に立つ女』(1921)は日本でも公開されている。しかし、現在ではネット上でも本書のほかはほとんど話題にされることがないようで、忘れさられかけている作家らしい。エイルマー・ヴァンスのシリーズは、1914年に『The Weekly Tale-Teller』という雑誌に連載されたもので、1冊にまとめて出版されるのはAsh-Tree Press版が初めてだった。アスキュー夫妻が書いた超自然小説は、これきりだという。

 このシリーズは、シャーロック・ホームズ物に倣って心霊研究家ヴァンスの友人デクスターが語り手に設定されており、(1)~(3)はサリー州の保養地でヴァンスに出会ったデクスターが、ヴァンスと交流を深めつつ過去の体験談を聞きだすという形式になっている。(1)は、妻を霊媒にした降霊実験にのめり込んだ男が霊に横恋慕され、妻の肉体を乗っ取られるという話。(2)はナチュラリストの家庭に育った娘が森の中で太古の神々の眷属に出会い、恋に落ちたことから始まる悲劇。(3)は可憐な少女の霊とヴァンスとの淡い恋物語。

(4)からがデクスターもリアルタイムに怪事件に遭遇する話になっていて、夭折したアマチュア詩人の妻が自動筆記を用いて夫の作品を再現した手稿に触れたことにより、デクスターはサイコメトリー能力に目覚める。そして、吸血魔女に呪いを掛けられた一族の事件を描いた(5)以降、彼はヴァンスの助手として活動するようになっていく。(6)では酷薄な領主に惨殺された間男の霊の伝説がある館でのポルターガイスト騒動に挑み、(7)では自分にしか聞こえない音楽に縛り付けられている娘の謎を追う。(8)は、理由のわからない「恐怖」そのものが館の中を這い徊り住人を襲撃するという異様な事件を、真に迫った筆致で描いている。

 題名の"Ghost-Seer"という言葉に著者がどれほどこだわりを持っていたかは不明だが(Ash-Tree Press版で初めて付された可能性もある)、作品の内容には実によく合っている。ヴァンスは怪事件を調査して何が起きているかを明らかにはするが、かならずしも解決しないからである。といって、彼が無能だというわけではない。そもそも現実に超常的な現象が起きたとして、人間の力でそうやすやすと止められるはずもない。心霊探偵物は事件の解決にこだわるあまり珍妙なアイテムや魔法的手段に頼った結末になっていて鼻白まされることもよくあるが、このシリーズはそうした安易なご都合主義を排しているのである。

 怪奇専業の作家ではないだけにオカルト的な解説に必要以上に深入りすることがなく、むしろ怪異を呼び起こす人間の情念を丹念に拾いつつ、事件を解説するのではなく描写することに専念する姿勢を採っていることも、リアリスティックな雰囲気を高める効果を挙げており、読者はヴァンスとともに奇怪きわまりない霊たちの跳梁をまざまざと「見る」ことになる。そして、ハッピーエンドのカタルシスを放棄した代償として、衝撃的な結末とともに、怪奇小説の本分というべき超自然の力に対する深い畏怖の念が浮かび上がってくる。

 まだまだ数多い未訳の怪奇小説の中には「これは訳されないのも仕方ない」と思わせるものも少なくないのだが、本書は初期の心霊探偵物の忘れられた可能性の一つというべき佳作であり、邦訳されていないことが惜しまれる。平易な文体で綴られており分量も手頃なので、興味を持たれた方はぜひ原書に挑戦してみて欲しい。

【2015年12月27日追記】

 本書は2015年12月にアトリエサードの〈ナイトランド叢書〉より、『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』[Amazon]として邦訳刊行された。訳者は田村美佐子氏で、ヴァンスとクロードが友情を深め合いながら超常現象の深甚な世界に分け入っていく姿を、情感豊かに日本語に移している。ぜひともご一読いただきたい。

 また、私はその間に、Ash-Tree Press版の"Aylmer Vance:Ghost-Seer"(1998)を入手することができた。そして、同書のジャック・エイドリアンによる序文によって、私が元記事に「アスキュー夫妻が書いた超自然小説は、これきりだ」と書いたのが誤りであることが判ったので、以下訂正させていただく。

 エイドリアンによるとアスキュー夫妻はもう一作、"The Devil and the Crusader"という超自然小説を1909年に書いているという。悪魔と契約を交わした男を主人公にしていて、最後は悪魔に扇動されたロンドン市街の群衆によって殺されてしまう結末とのこと。エイルマー・ヴァンスの連作と較べると、寓意の強い道徳的な作品なのだろうか? 情報を求めてネットを検索してみたが、どうやら稀覯書になっているらしく、それ以上は何も判らなかった。

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2010/02/06

『シェラ・デ・コブレの幽霊』

 神戸市長田区の神戸映画資料館で、ホラー映画向上委員会MebiusRing主催の『シェラ・デ・コブレの幽霊』上映会に参加した。

 このブログの読者には今さら説明の必要もないかも知れないが、『シェラ・デ・コブレの幽霊』とは、アンソロジー形式SFテレビドラマの草分けとして名高い『アウター・リミッツ』第1シーズンのプロデュースやヒッチコックの『サイコ』の脚本で知られるジョセフ・ステファノが、ホラー物のテレビシリーズ『The Haunted』のパイロット・フィルムとして1965年に自らの監督・脚本により製作したものである。ところが、仕上がりがあまりにも恐ろしすぎて放映もシリーズ化も見送られてしまったといわれ、わずかに日本とイギリス・カナダ・オーストラリアなどでテレビ放映された後はフィルムの所在も不明となり、幻のホラー・ドラマとして噂のみが語り継がれてきた。

 そのフィルムの一本が海外のネットオークションに出品されているのを、SF映画評論家の添野知生氏がたまたま発見して首尾よく入手され、朝日放送のバラエティ番組『探偵! ナイトスクープ』でその存在が広く報じられたことにより、今回の上映会に繋がった。ステファノは2006年に死去しており、このドラマの権利関係がどうなっているのかは現在不明で、今のところは今回のような非営利上映会しか公開手段がないという。貴重極まりないフィルムを一人でも多くの人々に見せたいと願い、実行された添野氏とホラー映画向上委員会MebiusRing諸氏のご熱意とご厚意には、いくら感謝してもし足りない。

 今回上映されたフィルムは英語の原版であり、字幕もない。私は英語のヒアリングがさっぱりダメなので物語が解るか不安だったのだが、入場時に配布された添野氏による解説・あらすじのおかげで、おおよそは把握できた。『The Haunted』は、マーチン・ランドー扮する建築家/心霊研究家のネルソン・オライオンが、さまざまな怪奇現象に立ち向かっていくというフォーマットのドラマだったらしい。オライオンは淋しい海岸に佇む奇抜な形の一軒家(どことなく『ウルトラマン』の科学特捜隊ビルに似ている)に住んでいて、その広間の壁には彼が今まで係わった怪事件に関する絵が並べられている。オライオンは、1年前に死んだ母の亡霊からと思しきすすり泣きの電話に毎夜悩まされているという資産家からの相談を受けるが、実はそれが広間の壁の絵の一枚──かつてオライオンが解決できなかったメキシコのシェラ・デ・コブレ村の幽霊騒動──に関係していることが明らかになっていく。

 恐らくステファノの念頭には、2年前に公開されたロバート・ワイズによる幽霊映画の傑作『たたり』をいかに越えるかという目標があったのではないだろうか。このドラマも『たたり』と同様に強烈な音響が怪異の前触れとなるのであるが、『たたり』のトレードマークとなった感もある大音響のラップ音のみならず、耳を覆いたくなるような気味の悪いむせび泣きと、キューキューヒュルヒュルいう何だか判らない金属風の怪音が付け加えられていて、すさまじい効果を挙げている。金属風の怪音については、『サイコ』のシャワー・シーンに付されたバーナード・ハーマンによる効果音に近いような音楽も連想されるが、それよりもいわゆる金縛り(睡眠麻痺)の前兆としてしばしば証言されている音(ここここを参照)との類似性を指摘しておきたい。実は私自身も金縛りにしばしば遭う体質なのだが、音そのものは私が聞くものとは異なっているものの、音が迫ってくる過程と聞く者を痺れさせるような圧倒的な効果、去った後の静寂と夢から覚めたかのような感覚は、金縛りとたいへん似ていると感じた。金縛りはあくまで生理的な現象であって、私自身も心霊現象だと思ったことは一度もないのであるが、多くの怪異談の源泉になってきたことは間違いない事実である。ステファノはこの音響効果を作成するにあたって、そういう体験談を参考にしたのではないだろうか。

 また、幽霊そのものも『たたり』のように特定の人間のみに効果を及ぼす幻覚のようなものではなく、グロテスクな姿を堂々と万人に晒して嵐のような念動力で生者を物理的に打ちのめすという、よりパワフルなものであった。こうしたモンスター的な幽霊の描写は現在でこそ映画のみならず漫画、ゲームなどでごく当たり前に見られるが、当時の映画やドラマではかなり珍しかったはずだと思う。ステファノはこのフィルムの製作にあたって、『アウター・リミッツ』のスタッフを呼び寄せたという。確かに正体不明の強烈なエネルギーが空中に凝り固まっていくように発現する不吉な緊張感は『アウター・リミッツ』第4話「人間電池」を想わせるし、ネガポジ反転映像で全身が発光する幽霊は第1話「宇宙人現る」の応用と、このドラマの怪異表現には『アウター・リミッツ』で得られた成果がはっきり見て取れる。一言で要約するなら、『シェラ・デ・コブレの幽霊』とは、幽霊物にSFモンスター物の味をプラスしてパワーアップしようとした試みであったといえるかもしれない。

 このように興味深い作品が埋もれたままでいるのは、なんとも惜しい話である。添野氏はDVD化に向けて権利関係の調査を続行中とのことなので、吉報を待ちたい。また、今回発見されたフィルムはモノクロの50分版であるが、カラーの長尺版があるという情報や、日本放映版とはモノクロだったが一部内容が違っていたという証言が寄せられているそうで、そうしたバージョン違いについての真相の究明や、製作背景の解明も期待したいところである。特にカラー版が存在した場合には、今回のモノクロ版とはがらりと印象が変わってしまう可能性もある。たとえば、製作時期からいって、サイケデリックな色彩効果が用いられていたとしたらどうだろう? 極彩色に発光し、悲鳴を上げながら襲いかかってくる幽霊──見てみたいと思いませんか?

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