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2007年5月の記事

2007/05/03

怪奇大作戦セカンドファイル

 NHK BS2で放送された『怪奇大作戦セカンドファイル』を見た。あの『怪奇大作戦』のリメイクである。番組の概要はこちら。

 まずはキャストの印象から。ココリコ田中の三沢が予想外によかった。現代では三沢のような熱血漢は世間からちょっとずれた存在になるわけで、そういう意味で彼は実にはまり役だと思う。西島秀俊の牧はちょっとかっこ良すぎ、というか超人的すぎる気がする。俳優よりも脚本のせいではあるけれど。ウルトラマンマックスのノムさんはまったく違和感なし。さおりちゃんと町田警部は、まああんなもんでしょう。所長は……岸辺一徳って何を演じても岸辺一徳にしか見えない(笑)。

第1話 ゼウスの銃爪
 犯人像や結末は、オリジナル版のファンが見るとたぶんちょっと甘いと感じるとかも。導入部はけっこうえぐくてインパクトがあるのに、かんじんのところで放送局に遠慮したのだろうか。マイクロウェーブ兵器の表現が終盤で極端に派手になっているのは考証的にはどうなのかと思うけれど、その反面、いかにも特撮という楽しさがある。ココリコ田中独特の奇妙なアクションも含めて三沢のキャラクターをよく活かしているし、ドラマ的表現としてはあれで正解でしょう。細かい不満はあるけれど、全体としては悪くないと思う。

第2話 昭和幻燈小路
  誰しも思うことだろうけど、これでは『怪奇大作戦』というより『ウルトラQ』だ。こういう幻想を描きたいなら描きたいで、いかに犯罪物に仕立てるかが『怪奇大作戦』見どころのはずなのに。
 そこに目を瞑るにしても、この緊張感の無さはいかがなものか。たとえばオリジナル版の「京都買います」を支えていたのは、「生きている人より仏像が好き」なヒロインと「仏像より生きている人が好き」な牧が惹かれ合うことから生まれる葛藤だった。このエピソードには、そういうドラマの軸になるポイントを欠いている。どのキャラクターも、なんとなく超常現象に遭遇して何となく受け入れてしまっているばかり。前半、トンデモ仮説を却下し続ける牧はけっこうかっこよかったのに、なぜ後半もその姿勢で押し通さないのか。本気で幻想を描きたいなら、そういう理性的な牧が圧倒される過程こそが必要なはずなのだ。残念ながらこれは、ただぼや~んと超常現象を描けばいいと思ってるような、ダメ幻想ドラマの典型になってしまっている。

第3話 人食い樹
 パンデミックの恐怖を絡めた前半はかなりおもしろかったんだけど、まさか人食い樹の正体がビ●●●●とは……いやまあそれは許容範囲としましょう。しかし、この解決策は非科学的すぎ。というか、対症療法みたいなもので厳密には解決してないではないか。風呂敷を広げすぎて、収拾の付けようがなかったのか? オリジナル版の『怪奇大作戦』は、こじんまりとした犯罪を通じて現代社会の歪みをきっちり描き出し得ていたものなのだが。女性科学者を演じた木村多江の妖艶さは評価したい。この人は怪奇物に向いてると思う。

 結局、私が及第点を付けるのは第1話のみだった。第2話と第3話は、怪事件を科学的に解決してみせるという、『怪奇大作戦』本来の持ち味を忘れてしまっていると思う。また、目の前にあるのに誰もが見過ごしている矛盾を暴いてみせるところが、かつての『怪奇大作戦』の大きな魅力の一つだったわけだけど、今回の新版で唯一それを感じたのが、第1話の熱すぎてこっけいな正義漢三沢の姿と、彼が冷血に見える理性的な女性弁護士と交わす議論だった。正義という概念が見えにくくなった現代。そのせいで人は、ついつい考えるのを放棄して単純な正義に飛びついてしまいそうになるが、それは正しいのか?

 もしも、このシリーズの続きが製作されるならば、徹底して三沢をいじめるエピソードを作って欲しい。旧版の怪奇大作戦だって、牧の話ばかりじゃなかったんだし。全3回しかなかったので作り手みんなが牧というキャラクターを触りたがったのかも知れないけど、今回のリメイクは牧ひとりにいろんな役割を任せすぎだと思う。オリジナル版の牧は『ウルトラマン』の科学特捜隊でいうとイデ隊員の役どころなのだが、今回の牧はウルトラマンも入っている感じ。というより、モロボシ・ダン=ウルトラセブンっぽい? オリジナル版のSRIには超人はいなかった。等身大の人間たちが、力を合わせて科学的精神で怪事件に立ち向かう群像劇。それこそが『怪奇大作戦』だったはずだ。

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