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2007/03/01

ジョン・ブラックバーン再説(その2)

 ※この項は、昨年12月の「ジョン・ブラックバーン再説(その1)」の続きです。まず先にそちらを読んでください。

 デニス・ホイートリー(1897-1977)は、日本ではどれぐらい読まれているのだろう? 平井呈一が編んだ『世界恐怖小説全集』の一冊として早くから邦訳紹介された『黒魔団』はその後国書刊行会から2度再刊されているし、ハマー・フィルムで『悪魔の花嫁』[Amazon]として映画化されたり、私は未見だが少女漫画版まである(中貫えり『週末は魔都ロンドン』1996,あすかコミックス)というだけあって、それなりに知られているようではある。だが、ほかの著作はほとんど読まれていないのではないだろうか。

 ホイートリーは1930年代の作家デビューから晩年に至るまで、英国では国民的な人気を誇った流行作家であった。『黒魔団』を始めとしたホイートリーの黒魔術小説は、今でこそ原書でも新刊で入手できるものは少なくなっているものの、ほんの10年ほど前まではすべて現役だった。ただし、本来彼が得意としたのは戦乱や国際関係の緊張を背景にしたサスペンス小説であって、黒魔術小説は割合からいうと著作の一部でしかない。邦訳では、1980年代に国書刊行会から『デニス・ホイートリー黒魔術小説傑作選』全7冊が刊行されており、下記の5長篇を読むことができる。

(1)『黒魔団』 The Devil Rides Out (1935)
(2)『新・黒魔団』 Strange Conflict (1941)
(3)『娘を悪魔に』 To the Devil-A Daughter (1953)
(4)『悪魔主義者(サタニスト)』 The Satanist (1960)
(5)『ナチス黒魔団』 They Used Dark Forces (1963)

(1)は、強大なパワーを秘めた「セトの護符」を獲得しようとするオカルト結社とそれを阻止しようとするグループとの、正邪の魔術合戦を描いたもの。(2)では(1)の主人公たちが今度は、ナチスに協力し英国海軍の輸送船団の航路を透視しているブードゥーの魔術師に立ち向かう。(3)は、ホムンクルス製造のために生贄にされようとしている乙女を巡る争奪戦。これもハマー・フィルムによって『悪魔の性キャサリン』[Amazon]として映画化された。(4)は共産主義陣営と結託している悪魔崇拝者たちの陰謀を青年刑事とその恋人が追い、最後は核戦争の危機まで迫るという気宇壮大な物語。(5)は、ナチスドイツの中枢に潜入した英軍のスパイが、予知能力を持つユダヤ人魔術師の協力を得てヒトラーをたぶらかそうとするという戦中秘話仕立ての異色作である。

 このようにデニス・ホイートリーの黒魔術小説は、しばしば彼の十八番である諜報サスペンス小説と混淆する。そればかりか、実はこれらの5長篇はそれぞれ黒魔術とは無縁のサスペンス小説シリーズの一冊でもあるのだ。(1)(2)は英国に政治亡命してきたフランス人ド・リシュロー公爵、(3)(4)は英国公安部の"コンキイ・ビル"ヴァーニー大佐、(5)は英軍情報部員のグレゴリー・サリューストという、いずれも諜報活動のエキスパートであるキャラクターのシリーズに属している。これらのシリーズを通読すると、オカルト的要素などまるでない物語が続いている中にいきなり黒魔術の物語が顔を出すという、奇妙な読書体験をすることになるわけだ。ホイートリーはすでに1930~40年代に国際諜報物のサスペンス小説とオカルト・ホラーとの間を自在に行き来するキャラクター小説シリーズを確立しており、長きにわたって英国民の絶大な支持を得てきたのである。

 恐らくジョン・ブラックバーンのマーカス・レヴィン卿とカーク将軍のシリーズは、こうしたホイートリーの小説作法に則ったものに違いない。ブラックバーンの小説はアメリカではイギリスほど売れなかったというが、これもホイートリーによる地ならしの有無の差によるものではないだろうか。同様にしてホイートリーに倣った英国の作家はブラックバーンのみではないようで、超能力ホラー映画の傑作として日本でも知られている『メドゥーサ・タッチ』(1978)[Amazon]も、ピーター・ヴァン・グリーナウェイによる原作はチェリー警部補というキャラクターを主人公にしたサスペンス小説シリーズの1冊なのだそうだ(Peter Van Greenaway,"The Medusa Touch",1973)。『闇に葬れ』に顕著な英国産SFホラー映画との類似性も考え合わせると、ジョン・ブラックバーンはジャンルフィクションの改革者というよりも、伝統を意識して既存の類型をなぞろうとした作家であるといった方が正しい。とはいえ、こうした評価はブラックバーンの独自性を否定するものでは決してない。

 いったい何がホイートリー流ジャンルミックスの根幹となっているかは、現物を読めばすぐに判る。彼にとっては、ナチも共産主義も悪魔崇拝も古き良きイギリスの敵という点ではまったく同じであり、いくらでも置換や結合が可能だったのである。極端な保守主義者であるホイートリーの小説は、しばしば大英帝国を礼賛するための歴史や政治についての退屈な議論で中断する。一方、肝心の魔術戦も無邪気に正義の勝利を信ずるあまり、なんだか呑気なお遊びのようになってしまいがちである。ブラックバーンは、このような保守主義や楽観主義とは無縁だった。人類の愚かさや偶然の悪意を好んで描くブラックバーンの視線はむしろシニカルであり、無駄のない引き締まった語り口はホイートリーには望むべくもない。また、ホラーといってもホイートリーが黒魔術を専門にしていたのに対し、ブラックバーンは微生物や生体実験などのバイオSF系の題材を得意としていた。ブラックバーンは大胆な改革者ではないが手堅い改善者であり、単に先行作品を模倣するのではなく自分なりの持ち味も盛り込んでいたのだ。

 ブラックバーンが排したホイートリーのお気楽な魔術的闘争は、『タイタス・クロウの事件簿』[bk1][Amazon]と『地を穿つ魔』[bk1][Amazon]が邦訳されているブライアン・ラムレイの《タイタス・クロウ》シリーズに受け継がれているように思う。ホラーというにはあまりにも無邪気なこのシリーズのイギリスでの人気も、ホイートリーの存在を念頭におくことで理解しやすくなる。また善玉グループが悪を倒す黒魔術小説シリーズとしては、まだ邦訳の機会に恵まれないピーター・サクソンの《ガーディアンズ》シリーズなどもホイートリーの影響下にありそうだ。しかし、ホイートリーの作品のみでこうした英国産ホラー・サスペンスの流れをすべてを了解した気になるのはまだ早いかもしれない。ホイートリーが範としたというサスペンス作家ジョン・バカンや、日本では《フー・マンチュー》シリーズのみで知られているサックス・ローマーもサスペンス仕立ての超自然小説を書いているのだが、どちらもまだ日本語で読むことはできない。というより、そもそも海外ホラーの邦訳はモダンホラー以前についてはひどく短篇に偏っており、長篇はほとんど手付かずのまま放置されているといっても過言ではないのだ。古い怪奇長篇なんてそう売れるはずもなく、あきらめて原書を読むしかないのは判っているのだけど、もう少し何とかならないもんでしょうかねえ。

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