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2006年6月の記事

2006/06/30

『白昼の闇』

 クリストファー・ファウラー『白昼の闇』(東京創元社)[bk1][Amazon]

 イギリスのモダンホラー作家クリストファー・ファウラーの処女短篇集が、原書初版刊行から実に20年を経てようやく邦訳された。原題は"City Jitters"。すなおに日本語に訳すと、『都市神経症』──いやむしろ『街のイライラ』か……。本書は都市を舞台にした全10篇のホラー短篇を収録しており、それらを繋ぐブリッジとして、自分が泊まるはずのホテルがどうしても見つからずに夜のニューヨークを彷徨い続けるロンドンっ子の物語が分断されて挿入されるという、なかなか凝った構成になっている。ファウラーの著作では、ロンドンのビル群の屋根から屋根へと渡り歩いて生活している秘密結社の抗争を描いた『ルーフワールド』(ハヤカワ文庫FT)[bk1][Amazon]と、悪魔との契約譚の現代バージョンである『スパンキイ』(創元推理文庫)[bk1][Amazon]という、物語性に富んだ楽しい長篇が2つすでに邦訳されているけれど、彼の本領はこの短篇集の収録作のように都市生活のストレスから魔を立ち上らせる神経質なホラーにあるのだそうだ。

 本書の訳題『白昼の闇』は著者前書きから採ったもので、そこでファウラーは「ホラー作家には雷鳴や墓地やコウモリが醸し出す雰囲気が必要だが、そうしたイメージは乱用されたために安っぽくなってしまった」と、自分が現代の都市生活から生まれる恐怖にこだわる理由を説明している。しかし、これはホラーというよりむしろ18世紀のゴシック小説のイメージに近い。そこから脱しようとするのがホラーの歴史だったわけだし(詳しくは『幻想文学』第63号(アトリエOCTA)[bk1][Amazon]所収の拙稿「ゴシック・怪奇・ホラー」を参照)、何だかなあという感じである。

 さらにファウラーは、自らの作風を「現代の日常生活を舞台にして、ホラーやファンタジー、ミステリーをミックスした作品」「都会の、少し偏執的で、たいていの場合、小さなブラックユーモアがちりばめられている小説」と言っているけれど、これってパルプ・ホラーから異色作家短篇系の流れとぴったり重なるわけで……。実際、描かれている時代風俗こそ新しいものの、ファウラーの短篇の味わいは異色作家系の諸作に近く、もしも本書が早川書房から刊行されていたらなら、ほぼ間違いなく《異色作家》と形容されたのではないか。

 とはいえ、単に都市の中の恐怖を描くに止まらず、まるで都市そのものがのしかかってくるかのような圧迫感を醸し出している辺りは、ファウラーならではの独自性として認めねばなるまい。個々の短篇の質もさることながら、怪異と恐怖がより過激にエスカレートしていくかのような配列もなかなか気が利いており、最後に控えた「むなしさが募るとき」ではまさしく『街のイライラ』そのものが市民を食い尽くしていく様を描ききり圧巻であった。生意気な口上は話半分に聞き流しておいて作品そのものを味わうなら、この作家はそれなりの実力の持ち主であることは間違いない。本書をきっかけに、第二短篇集"Citty Jitters2"や未訳長篇などの邦訳も続くことを期待したい。

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2006/06/21

怪談専門誌『幽』第5号

 メディアファクトリーより怪談専門誌『幽』第5号(メディアファクトリー)[bk1][Amazon]の見本誌が届く。詳しい内容はこちらのページの下の方を参照。4号までは特定の作家を特集しいてた第一特集が、今号は「猫の怪」ということでテーマ特集になっている。一つの節目と言えるが、『幽』はもともと特集に徹した誌面構成にはしていないので、全体の印象はそれほど変わっていない。第二特集「実話と創作のあいだに」では、福澤徹三×平山夢明の対談が、一部の怪談ファンに根強くあるらしい本誌の《怪談=文芸》主義に対する反発について、実作者の立場から言及しているのが興味深い。

 私は今号では、「怪談ブックレビュー」で稲生平太郎『アムネジア』(角川書店)[bk1][Amazon]を書評しているのと、新たにできた定番の旧刊紹介コーナー「怪談名著全集」でF・W・ホリデイ『奇現象ファイル』(ボーダーランド文庫)[bk1][Amazon]を紹介している。『アムネジア』はほんとうに傑作なので、ぜひともご一読を。事前の知識は一切ない方が楽しめる小説だから、ネットで既読者の感想を検索したりするのは厳禁。できれば私の書評も読んで欲しくないほどである。『奇現象ファイル』は、以前に大陸書房で出ていた怪著『古代竜と円盤人』が改題復刊されたもの。ほとんど話題にならず埋もれているのが惜しいのと、わざと定番を外して変化球も面白かろうと考えてチョイスしたのだが、朝宮運河氏が取り上げたジョン・A・キール『プロフェシー』(ヴィレッジブックス)[bk1][Amazon]と見事に被ってしまった……。

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2006/06/14

『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』

第7回日本SF新人賞受賞作、タタツシンイチ『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』(徳間書店)[bk1][Amazon]を著者タタツシンイチ氏より頂戴する。タタツは、私が大学時代に所属していたサークルの後輩である。「関西大学SF・ミステリ・映画研究会F&N」なる鵺のごとき名称のそのサークルは、もともと関西大学SF研究会からわけがあって分派してできたというのだが、その「わけ」には諸説あって判然としない。伝統と実績を誇り続けている関大SF研とは違って、F&Nは今はもう跡形もなく消えているはずだ。タタツはその泡沫サークルからようやく生まれた、プロ作家第1号なのである。

 実は、この『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』の原形に当たる作品を、私は11年前に読ませてもらった(というか、今も手元にある)。『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』は、バブル経済が崩壊せずに続いているという架空の近未来の日本を舞台に、アメリカのサイボーグ特殊部隊と日本の新型アンドロイドが激闘を繰り広げるSFアクション長篇である。私がかつて読ませてもらった原形版は、タタツや私たちの若き日をすっぽりと覆い、当時もまだ残滓が生々しく漂っていたバブル経済への違和感を思い切りぶちまけたような小説だった。

「今さらバブルってどうでしょうね?」

 改訂版を日本SF新人賞に応募したことを打ち明けてくれたときにタタツは、過ぎた世相を題材にした小説であることを気にしている様子だった。私はその点は、さほど危惧していなかった。今の日本がバブル経済の崩壊からほんとうに学んでいるとは思えないし、タタツが原形版に込めていた偽りの繁栄に対する嫌悪には、世代を問わない普遍性が認められたからだ。しかし、タタツはそれだけでは満足できなかったようで、構成を見直し大幅に加筆して完成された本書は、バブルという世相は単なる足掛かりにして、「日本的なるもの」を問わんとする小説に生まれ変わっている。「日本」に対する苛立ちと愛着。この小説の中では、それらが微妙に拮抗し交錯している。

 SF活劇であり、日本論でもある本書は、上述の通りさらにある種の青春小説でもある。したがって無闇な熱さ青臭さこそが力なのだのが、そこがどうにもついて行けないという読者も、きっといることだろう。え? 40歳過ぎて青春でもあるまいって? 勘弁してやってくださいよ。こやつめの青春は、まだ片が付いていないんですから──まだまだこれから、暴れるんですから……。

 関係者である以上、語れば語るほど内輪誉めと取られる恐れもあるので、そろそろ切り上げるとしよう。ただ、原形版を読む機会があった者として、最後に一つだけ言っておかねばならないことが残っている。

 この小説はクライマックスに差し掛かる箇所で、ある海外ロックバンドの曲の歌詞が引用されており、さらにタタツによる邦訳が併記されている。タタツ自身が巻末あとがきで「超訳」と断ってはいるのだが、それにしてもひどく原文とは隔たった訳文なので、「この作家は英語がさっぱり判らないのではないか?」と思われる方もあるかも知れない。だが、私が11年前に読んだ原形版では、もっとずっと原文に沿った訳が付されていた。つまり完成版の訳文は、タタツが意図して原文からかけ離して仕上げたものなのだ。もしこの訳文を問題視するのなら、それを念頭に置いてやっていただきたいのである。

 ともあれ、皆様まずはご一読をお願いいたします。

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