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2005年9月の記事

2005/09/12

購書備忘録2005その49『火星の運河』

bk1より下記3冊が届く。

東雅夫編・江戸川乱歩『火星の運河』(角川ホラー文庫)[bk1][Amazon]
 表題作や「芋虫」の初出バージョンの他、「怪談入門」に代表されるホラー系批評や怪奇趣味にまつわるエッセイ等、乱歩の怪奇幻想系の文章を集めたホラー読本──と書くと、乱歩の書くものはぜんぶ怪奇幻想ではないかと言われてしまいそうだけど、彼は自分を推理作家と規定していたため、ほんとうに怪奇に徹した文章は案外少ないのである。一般的なホラー・ファンの関心の対象になるようなものは、創作を除くと本書でほぼ網羅できてしまうのではないだろうか。
 実のところ、乱歩の文学では幻想よりも幻滅の方がはるかに強いことは、代表作の一つである「赤い家」を結末の似通っているマッケンの「三人の詐欺師」(『怪奇クラブ』)と読み比べでもすれば、一目瞭然であろう。有名な「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という対句は、かくあれかしという理想を語った反語として理解すべきなのである。とはいえ乱歩は、マッケンのようにとことん幻想の彼方へ突き抜けた境地に対して、深い共感を抱いていた。本書に収録されているホラー批評の中でも、マッケン、ブラックウッド、ラヴクラフトら乱歩が言うところの《別世界怪談》作家たちについての評言は、本邦では今なお匹敵するものがないほど的確であり、熱い。
 濃く熱い怪奇の血を持ちながら、幻想に徹して彼岸に突き抜けることはできなかった乱歩。その乱歩が、今もって怪奇幻想の一人者とされている日本。こうした現実を見据え、近代日本のホラー小説の歴史をただ礼賛するのではなく、批判的に検証してみる作業も必要かも知れない。

東雅夫編『血と薔薇の誘う夜に』(角川ホラー文庫)[bk1][Amazon]
 日本の近・現代の吸血鬼文学の流れを一望せんとしたアンソロジーで、全16篇を収録している。編者が1999年に桜桃書房から出した『屍鬼の血族』[Amazon]の改編文庫化という趣の本であるが、海外吸血鬼小説邦訳の嚆矢と目されるというE・H・ヘロン作/松居松葉訳の「血を吸う怪」が初復刻されているので、買わないわけにはいけない。

カービー・マッコーリー編『闇の展覧会 罠』(ハヤカワ文庫NV)[bk1][Amazon]
 改装版の第2巻。この巻の収録作は、何といってもT・E・D・クライン「王国の子ら」につきる。いや、もちろん他にもいい作品はあるのだが、「王国の子ら」の素晴らしさの前では霞んでしまう。巻末解説は中村融が書いており、英米の書き下ろしホラー・アンソロジーの歴史を簡便にまとめている。

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2005/09/10

購書備忘録2005その48『泪坂』

bk1より下記3冊が届く。

倉阪鬼一郎『泪坂』(光文社文庫)[bk1][Amazon]
 これはさっそく読んだ。初期を代表する短篇『便所男』の汲み取り便所の穴が大宇宙の虚無と繋がるごとく、特殊小説家倉阪鬼一郎の作品世界は狭くて広く、広くて狭い。本書は鬼畜なホラーやミステリを得意とする倉阪が、江戸指物の職人を主人公に初めて親子の情愛を描く人情話に挑んだという長篇で、確かにその看板に偽りはないのだけど、やはり倉阪流の怪味溢れる小説でもあった。ありきたりの人情話と信じて手に取った読者は、さぞかし面食らうことだろう。だが、一般に人情話で泣こうというような層は新たな発見よりも確認に喜びを見出すものだから、自分がはめられた狭い穴の奥の広がりに気づけるような読者が果たしてどれぐらいいるかどうか?

東雅夫編『妖怪文芸 巻之2 響き交わす鬼』(小学館文庫)[bk1][Amazon]
 妖怪文芸アンソロジー・シリーズの第2弾。今回のテーマは鬼なのだが、標題で判るとおり『仮面ライダー響鬼』へのリスペクトにもなっているのだそうだ。方々で評判になっているこの番組、あいにく私は一度も見ていない。実はライダーや戦隊系の特撮物は何もかも外連で押し通してしまうドラマ作りが苦手で、妻や子供が見たがらない限り、新作を積極的に追うことまでしていないのである。なお、本書は『仮面ライダー響鬼』を見ていなくても楽しめる内容だそうだ。

ロード・ダンセイニ『時と神々の物語』(河出文庫)[bk1][Amazon]
 河出文庫のダンセイニ作品集第3弾。『ペガーナの神々』とその続編『時と神々の物語』、『三半球物語』の3つの短篇集と、生前には単行本未収録だった短篇11篇を収録している。560ページもの分量のわりに1000円を切る廉価で、これはお買い得だろう。

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2005/09/05

購書備忘録2005その47 メルヘン文庫再び&『妖怪大戦争』

 親子5人で映画『妖怪大戦争』を見るために阿倍野へ出掛けた。なかなか好評であるとは聞いていたが、劇場に着いてチケットを買おうとすると次の回がもう満席。2時間ほど暇を潰さなくてはならなくなった。妻と子供たちはマンガ喫茶に行きたいというので、iモードで検索して見つけた手近の店に彼らを送り届け、私だけ天王寺駅周辺の古書店を廻ることにした。3軒廻って収穫は下記の7冊。

チャールズ・ディケンズ『炉端のこおろぎ』(1980,東洋文化社)
クレメンス・ブレンターノ『ミルテの精』(1980,東洋文化社)
ルートヴィヒ・ティーク『金髪のエックベルト』(1981,東洋文化社)
 先月メルヘン文庫を買った店に行ってみたら、まだたくさん残っていたので、またも創作ばかり3冊を購入した。有名な作家ばかりだし、これでしか読めないわけでもないのだろうが、ファンタジー系の書誌には疎いのでよく判らない。とにかく私は持っていないので買った。ひょっとして、創作よりも民話系の本の方が珍しいものがあったりするのかも知れないけど、こちらはファンタジー以上に疎いのでますます判らない。

K・H・シェール『オロスの男』(1986,ハヤカワ文庫SF)
 ドイツ産のSF長篇。冥王星探検隊が、憑依能力を持つゼラチン状のエイリアンに襲われて──というお話とのこと。この著者の作品は、小学生のころに父から借りた<ペリー・ローダン>シリーズでいくつか読んだことがあるはずだけど、どれがどれやら思い出せない。

ウィルキー・コリンズ『白衣の女』上・中・下(1996,岩波文庫)
 コリンズの怪奇小説の邦訳は一通り読んでいるのだけど、ミステリの源流の一つして名高いこの超有名作は、恥ずかしながら未読だったのである。我ながら偏っているとつくづく思う。

 さて、『妖怪大戦争』。タイトルこそ往年の大映特撮映画から借りているものの、まったくの別物といっていい映画であった。旧作は人間の主人公格もいるものの、どちらかというと視点を日本の妖怪たちに置いており、彼らが日本に襲来するバビロニアの悪霊ダイモンを斥ける戦いを描いていた。ところが今回は『稲生物怪録』を思わせる人間の少年の通過儀礼が主軸になっていて、妖怪と交流できる少年が善玉妖怪の協力を得て、加藤保憲(あの『帝都物語』の加藤である)が率いる悪玉妖怪軍団の目論見を打ち砕くという人間主体のストーリー。三池崇史監督の演出は全体に少々ベタではあるが、その反面怖がらせるところも笑わせるところも泣かせるところもきっちり押さえていて、楽しめる映画に仕上がっている。

 今どきの映画らしく妖怪の特撮はそれなりによく出来ており、一昔前ならアニメではないと不可能だったようなアクションも続出したりして飽きさせない。そしてそれ以上に、特撮ばかりに頼るのではなく、役者の演技力で妖怪らしさを出そうと努力しているのが好もしい。近藤正臣演じる猩猩の飄々とした魅力。栗山千明のアギと高橋真唯の川姫の妖艶さ。トヨエツの加藤保憲も怪人嶋田久作と較べてしまうとつらいけど、よくやっていたと思う。しかし、一番妖怪じみていたのは、主人公を演じた神木隆之介の美少年ぶりだったかも。

 善玉妖怪軍団が一致団結というのではなくて、お祭り騒ぎのうちに何となく結集されてしまうというのも可笑しくてよい。ただ、善玉も悪玉も妖怪の出自は結局あまり変わらないようなものなので、悪玉妖怪たちの人間に対する復讐の是非を巡ってもっと激しい葛藤があって然るべきではないのかとも思った。あまり難しいことを考えずに楽しむべき映画なのだろうが、例えば昭和のアニメ版ゲゲゲの鬼太郎や初期の円谷特撮ドラマなんかは、そういうところから目を逸らさないでいながら、きっちりエンターテインメントになっていたんだけどなあ。

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