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2005年8月の記事

2005/08/31

購書備忘録2005その46『エトリックの羊飼い、或いは、羊飼いのレトリック

 bk1より、下記5冊が届く。

高橋和久『エトリックの羊飼い、或いは、羊飼いのレトリック』(研究社)[bk1][Amazon]
 何と、ゴシック小説の中でも飛び抜けた異色作として知られる『悪の誘惑』の著者ジェイムズ・ホッグの評伝である。発行は昨年の8月で、さこんな本が出ていたとはちっとも気づかなかった。著者は『悪の誘惑』の訳者なのに、帯にも版元の紹介ページにも、ぜんぜん『悪の誘惑』に触れていないのはちょっと不思議。ホッグは怪奇幻想専門の作家というわけではないので、基本的に「エトリックの羊飼い」でピンとくるような読者向けに書かれている本なのだろうけど。

カービー・マッコーリー編『闇の展覧会 敵』(ハヤカワ文庫NV)[bk1][Amazon]
 1980年代のモダンホラー・ブームの代表的書き下ろしアンソロジーが、装いも新たに復刊された。旧版は上下2巻だったのを全3巻とし、さらに各巻に新たに解説を追加したものの第1巻である。手に取ってみて、収録作数に比して予想外に本が厚いなと思ったら、旧版よりかなり活字が大きくなっていた。高齢化社会対応版? 全3巻に改編したため作品の配列が旧版とは異なっているのと併せて少々違和感があるが、新たな読者にはまあ関係のない話ではある。

香川雅信『江戸の妖怪革命』(河出書房新社)[bk1][Amazon]
 江戸時代に、それまでは生きた伝承であった妖怪が虚構と判っていて楽しむものへと生まれ変わっていった過程から、現代に通ずる妖怪観の成立を論じた研究書。実在を信じて怯えているのと、はじめからフィクションとして了解して楽しんでいるのとでは、認識の仕方が違うだろうと言うのである。いわゆる未確認動物や宇宙人などに顕著なように、エンターテインメントを通じて形成されたキャラクターが実見談にフィードバックするケースもあるので、そう綺麗に線引きできるものだろうかとも思うけれど、ともかく一度はこのような分別作業が必要なことは間違いない。この本は、妖怪研究の一つのエポックメイカーとなるかも知れない。

フレデリック・E・スミス『633爆撃隊』(光文社NF文庫)[bk1][Amazon]
 木製の機体を用いて戦闘機を上回る高速を誇った英国空軍の双発爆撃機<モスキート>部隊の奮戦を描いた小説。史実に基づかないフィクションながら映画化もされていて[Amazon]、むしろそちらで有名かも知れない。かく言う私も、小学生のころにテレビで映画版を見てモスキートの特異なキャラクターに痺れ、翌週モノグラム社の1/48模型を買い求めて作った覚えがある。
 訳者は軍事評論家の岡部いさく。かつて徳間文庫からも、野村芳夫による邦訳が出ている(『633爆撃中隊』)。本書は2000年の発行で、あとがきで訳者は続編の邦訳を予告しているけれど、実現していないようだ。

坂本明『世界の空母 カンパニアからロナルド・レーガン、未来空母まで』(文林堂)[bk1][Amazon]
 航空母艦という艦種の誕生以来の歴史と、現代の航空母艦のメカニズムや運用法を図解で紹介しているムック本。著者が1993年にグリーンアロー出版から出していた『大図解 世界の空母』の改訂版とのこと。

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2005/08/28

購書備忘録2005その45『未来獣ヴァイブ』

 Amazonより、下記1冊が届く。

山田正紀『未来獣ヴァイブ』(ソノラマノベルス)[bk1][Amazon]
 1985~87年に第4巻までが刊行され未完のまま中断していた長篇怪獣小説の先駆にして傑作『機械獣ヴァイブ』が、結末部を加筆し改題の上、復刊された。最近は、私たちのように昭和の怪獣ブームを見て育った世代が小説を書くようになったせいか、怪獣小説がずいぶん増えた。だが、本来ならばただ憎み恐れるべき破壊の権化になぜか惹かれてしまう私たちの内なる獣性を真正面から描いている点で、『ヴァイブ』に匹敵するものはまだないのではないだろうか。旧版刊行時に熱狂し周囲の知人にも『ヴァイブ』を推していた私としては、まるで夢が現実になったかのような気分である。

『未来獣ヴァイブ』は、旧版の全4巻も含めて一冊の新書判にまとめているので、700ページ弱とかなりの厚みになっている。しかし、著者が旧版第3巻のあとがきで本編8巻外伝8巻になる予定と言っていたから、これでも予想よりずいぶん薄い。さっそく読んだのだが──うーん、これは夢といっても悪夢というか……これでは小説としてちゃんと完結しているとは、とても言えないのではないだろうか? 今回書き下ろされた結末部は、わずかに20ページ強。確かに話は決着しているのだけど、あまりにも駆け足なのでまるで「続きはこんな話なんだよ」とあらすじを聞かされているかのようなのである。放り出されている伏線もあって、初読だとあっけにとられるばかりだろうし、以前からの愛読者であればあるほど納得いかないはず。いやもう、悔しくて悔しくてしようがないですよ、私は。

 17年も前の小説を完結させる英断に踏み切ってくれた著者と版元にはたいへん申し訳ないけれど、私にとっての『ヴァイブ』はソノラマ文庫版の4巻本『機械獣ヴァイブ』であって、今も未完のままだと思うことにしよう。また、本書を読んで不完全燃焼な気分になってしまった諸兄には、同じ山田正紀の長篇で怪獣こそ出てこないがモチーフに共通するところが多い『顔のない神々』を一読されることをお勧めしておく。

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2005/08/21

購書備忘録2005その44『ニューゲイト・ノヴェル ある犯罪小説群』

 大学時代のサークルの仲間と梅田で飲み会があったので、早めに出掛けてジュンク堂書店梅田店に寄る。いろいろと気になる本があったのだけど、給料日前だし飲み会の資金をキープしておく必要もあるしで、下記2冊だけ購入。

北條文緒『ニューゲイト・ノヴェル ある犯罪小説群』(研究社)[bk1][Amazon]
 ニューゲイト・ノヴェルとは、1830~40年代の英国で人気を博した犯罪者を主人公にしている小説のことであり、当時ロンドンにあった重犯罪者の収監施設ニューゲイト監獄にちなんで、このように呼ばれた。今日の犯罪小説の先駆のようなものだが、より厳密に文学史上に位置づけるなら18世紀末から19世紀はじめのゴシック・ロマンスと、19世紀後半のセンセーション・ノヴェルを繋ぐジャンルと言える。本書はニューゲイト・ノヴェルを本格的に論じた文献としては、本邦でほとんど唯一のものとのことで、ゴシック・ロマンスのウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』から語り起こしてブルワー・リットンやディケンズ、エインズワースらの諸作とサッカレイによる批判を軸に、ニューゲイト・ノヴェルの誕生から終焉までを論じている。
 本書の発行は何と1981年で、こんな古い本が平然と棚に並んでいるのがジュンク堂の凄いところ。もちろん絶版にしなかった版元も立派だけど、手にとって中身を確かめることができたからこそ私は買ったのだから、ジュンク堂のおかげなのである。いやほんとに、ネットの書店でばかり買い物してないで、たまにはリアルの書店を覗かないといけませんなあ。

ピーター・トレメイン『アイルランド幻想 ゴシック・ホラー傑作集』(光文社文庫)[bk1][Amazon]
 アイルランドの伝承を題材にしたホラー11篇を収録した短篇集。著者は高名なケルト学者の別名義とのことで、本書収録作はどちらかというと現代風のどぎついホラーではなく古き良き時代の怪奇小説に近いものらしい。光文社文庫でこのような渋めの怪奇小説が出るとは、ちょっと意外な気がする。それにしても、ケルトなのになぜゴシック・ホラー? ケルティック・ホラーとした方が、字面も格好いいと思うけどなあ。実際読めば、ゴシック風になっているのだろうか。

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2005/08/12

購書備忘録2005その43『第82空挺師団の日本人少尉』

今日から本業は5日間お盆休み。bk1から、下記7冊が届く。

飯柴智亮『第82空挺師団の日本人少尉 アフガン最前線』(並木書房)[bk1][Amazon]
 これはすぐに読みました。アメリカの市民権を獲得して空挺師団に入隊し、少尉にまでなった日本人青年の手記。第82空挺師団というと、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦やマーケット・ガーデン作戦でも活躍したことで知られ、世界のどこかで紛争が起きたらまっさきに派遣される精鋭部隊である。いや、こういう人がいたとは、ちっとも知らなかった。
 そもそものきっかけが「ランボーに憧れて」というのはちょっと困りものだけど、アメリカが自由と民主主義のために戦っていると信じ、
「そんなアメリカに心から賛同したからこそ、自分は米軍に入隊し、いまアメリカ人になったのだ。(中略)小さな誤りはあっても、アメリカは間違いなく大義のために戦っている。自分の決断は間違っていない」
とまで言い切る著者の姿勢については、賛否はともかく我々もその意味をよく考えてみる必要があるだろう。非常識な極論のように聞こえるが、現在ますます進みつつある自衛隊の米軍に対する協力だって、外から見れば彼の思想と似たり寄ったりなのだから。

 実戦の記録としては拠点防御や輸送部隊の護衛といった任務ばかりで少々地味めではあるものの、米軍の採用以来実に70年を越える古参兵器ブローニングM2重機関銃(本書では「キャリバー50重機関銃」と呼称。「トリビアの泉」で日本刀を叩き折っていた、あの機関銃である。装甲車や戦闘機を破壊できる銃なのだから、当たり前の結果なのだが)が、いまなお歩兵部隊用の銃器としては抜群の威力を誇り、兵士たちに重宝されているのが興味深かった。

光プロダクション編『ジャイアントロボ 資料編』(講談社)[bk1][Amazon]
『ジャイアントロボ』原作マンガ初単行本化の第3弾で最終巻。正伝が『週刊少年サンデー』に連載されたのに対し、各種月刊誌に連載され外伝的な位置づけになる7篇に、各種エッセイやインタビュー、実写テレビ版やOVA版の紹介等を併録したもの。実写テレビ版ロボの特攻隊を思わせる最期について、プロデューサーの平山亨が、自らの戦中派ならではのこだわりであったが、当時たいへんショックを受けたという女性の話を聞いて、今では反省していると語っている。うん、あれは感動っていうよりも悲しかったですよ。子供には、いかに問題を解決し自らも生き延びるかをという基本を、まず教えるべきはないだろうか。赤影さんを見習ってください。

イサベル・アジェンデ『神と野獣の都』(扶桑社ミステリー文庫) [bk1][Amazon]
 15歳の少年が作家の祖母に連れられて、アマゾンの奥地に棲む謎の獣人を調査する探検隊に加わるという、幻想的な冒険小説とのこと。著者は『精霊たちの家』などの魔術的リアリズムの作風で知られるラテンアメリカ作家だが、本書の売り出し方はまったくのエンターテインメントであるかのようである。もちろん、どっちでも楽しめれば構わないのだが、ちょっと意外だったので。

東雅夫編『妖怪文芸 巻之1 モノノケ大合戦』(小学館文庫)[bk1][Amazon]
 妖怪を題材にしている古今の文芸を集めたアンソロジー全3巻の第1巻である。収録作家は谷崎潤一郎や石川淳、稲垣足穂、小田仁二郎等々、そうそうたる顔ぶれ。東雅夫による妖怪アンソロジーとしては、『書物の王国18 妖怪』(国書刊行会)[bk1][Amazon]と『怪猫鬼談』(人類文化社)[bk1][Amazon]に続く3冊目になるのだろうか。親しまれている題材のわりに類書がほとんどないようなのは、例えば幽霊などと較べると、妖怪には愛嬌がありすぎるせいではないかと思う。本書も、カバーや本文に愛くるしい妖怪のイラストが散りばめられていて楽しいのだけど、あまりにも楽しげなので、見た目だけでお笑いっぽく感じてしまう向きもあるのでないだろうかと、よけいな心配をしてしまう。

柴田宵曲『妖異博物館』(ちくま文庫)[bk1][Amazon]
柴田宵曲『妖異博物館 続』(ちくま文庫)[bk1][Amazon]
 江戸時代や中国の古典籍などから不思議な話、怪しい話を収集して語り直した怪談随筆の名作の文庫化。昭和30年代に出版された原著は古書店の目録でもよく見掛けるのだけど、相場の方も名作に相応しいものなので、私はなかなか手を出せないでいた。この2冊で2100円なら安いものである。

下楠昌哉『妖精のアイルランド 「取り替え子」の文学史』(平凡社新書) [bk1][Amazon]
 妖精による「取り替え子」の伝承を鍵に、19世紀後半から20世紀始めまでのアイルランド文学(イェイツからブラム・ストーカー、オスカー・ワイルド、ラフカディオ・ハーン、ジェイムズ・ジョイスまで)の精神的背景を読み解く研究書。著者は、ボブ・カラン『アイリッシュ・ヴァンパイア』(早川書房) [bk1][Amazon]の訳者でもある。

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2005/08/07

購書備忘録2005その42 メルヘン文庫?

 区の会館のホールで、長男と次男のピアノ発表会。といっても先生が私の妹なので舐めているのか、本人たちはそれほど熱は入っていない。中学に上がった長男はこれからは勉学に専念するとの理由で(ほんとかよ)、この発表会で卒業なのだけど、どう聞いても胸を張って卒業と言えるような仕上がりじゃないよなあ……。

 その後、こんな発表会のためにわざわざ出向いてくれた義理の母を見送りがてら、天王寺に出掛けて家族でお食事会。帰りに一軒だけ古書店を覗くと、棚の一角に《メルヘン文庫》という聞き覚えのない新書サイズの叢書が何冊か並んでいるのが目に留まった。

『ウンディーネ』などの有名なところから聞いたことのないようなものまで、ファンタジー小説と古典文学や民間伝承などががごたまぜになったラインナップなのと、装丁がいまいち冴えなくて少々不安な感じ。とはいえ、中身をパラパラめくってみた限りでは、どれもいい加減な本ではなさそうである。中にはこれでしか読めないものもありそうなんだけど、ファンタジーの書誌情報には疎いのでよく判らない。値段は手頃だったので、とりあえずW・M・サッカレー『バラと指輪』ウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(どちらも1980,東洋文化社)を買うことにした。『バラと指輪』は創作長篇童話。所有者を美しく見せる魔法のバラと指輪を巡り、王侯貴族がドタバタする騒動を描いているとのこと。『世界のかなたの森』は、説明の必要もないだろう。訳者あとがきには、「原文のほとんど各パラグラフごとについている『小見出し』は本書では省略した」とあるから、抄訳ではある。

 もう一冊、デル・リー『謎の大陸アトランティス』(1971・8刷,角川文庫)も購入。新鋭の小型原子力潜水艦がアトランティス人の生き残りが住む海底都市を発見して──というジュブナイルSF長篇。角川文庫のジュブナイルSFというと赤い背表紙を思い浮かべるが、このころは白かったのか。初版は1968年で、3年後にもう8刷というのもちょっと驚き。そんなに売れそうな本には見えないのだが。

 帰宅後、ネットでメルヘン文庫について検索してみるが、断片的な情報ばかりでどうも全体像が掴めない。ごたまぜのラインナップが災いして、評価が定まっていないのだろうか。

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2005/08/05

購書備忘録2005その41 真理 MARI

Amazonより、下記3冊が届く。

加門七海『真理 MARI』(光文社文庫)[bk1][Amazon]
 中篇に近い長さの「書き下ろし長篇ホラー」。なので、これはすぐに読んだ。怪異を説明することは最小限に抑えて体験者の心理を描写することに重きを置いていて、加門七海の作品としては、昨年同じ光文社文庫から出た『203号室』[bk1][Amazon]と同傾向と言えるが、徹底度は本書の方がはるかに上。
 中学までの同窓生にたまたま再会した30代の独身OLが、同窓生の妻からあらぬ疑いを掛けられ、執拗な嫌がらせを受ける──と、出だしはサイコ・スリラー風だが、嫌がらせがどんどんエスカレートするうちに自然と超自然の境まで越えてしまってホラーになっていく。ところが、これまで超常現象などとは一切無縁に暮らしてきた主人公は、なかなか怪異を怪異と認めようとはしない。自分が狂っているのか? それとも世界が狂っているのか? こんなバカな話をしても誰にも信じてもらえるはずがない……とほとんど終盤まで独り悩み続けるのである。あり得ないことを見てしまう怖さ、あり得ないことを見てしまったために孤立していく怖さをこれほど執拗に追求しているホラーも珍しく、読み応えがあった。

有川浩『海の底』(メディアワークス)[bk1][Amazon]
 横須賀に巨大ザリガニの群れが!という、まるでB級SF映画のようなシチュエーションの長篇怪獣小説。著者は『空の中』[bk1][Amazon]という空の怪獣小説も書いていて、作風としてはリアル派のシミュレーション小説っぽいそうだけど。次回作は『地の底』というタイトルで、巨大ミミズとか巨大モグラの話を大まじめに書いてくれたりするのだろうか。

『小説すばる 8月号』(集英社)[Amazon]
《夏が凍る! ホラー&幻想の短編大特集》とのことで購入。先月出ていたのだけど、ふだん雑誌類を買うのに利用している近所でいちばん大きな書店が改装中なので、今まで気づかなかった。

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2005/08/01

福井晴敏映画化三部作

 映画ファンサービスデーにかこつけて、妻と長男と三人で『亡国のイージス』を見に行った。『ローレライ』『戦国自衛隊1549』に続く福井晴敏原作映画の第三弾であるが、この『亡国のイージス』がもっとも出来が良かった。といっても、私の基準ではこれでようやく及第点。前二作が水準以下なのである。どちらも封切で見ていたけれど、国産の特撮映画や戦争映画はできるだけ応援したい気持ちがあって、公開中は正直な感想を当ブログに書く気になれなかった。この機会に三本まとめて書くことにする。
 その前にあらかじめ断っておくと、私は福井晴敏の小説の熱心な読者ではなくて、読んでいるのは『終戦のローレライ』[bk1][Amazon]と『∀ガンダム』(現在は『月に繭地には果実』に改題)[bk1][Amazon]だけである。『∀ガンダム』はまあガンダムのノヴェライズなのだが、『終戦のローレライ』はSF的なアイデアも盛り込まれているものの、いわゆる軍事スリラーないしはポリティカル・フィクション系の小説なのだろうと思っていたら、ぜんぜん別物だったので驚かされた。軍事的な考証はわりといい加減で、それはないだろうというようなことが次々起きるし、大仰に天下国家を語りたがる一方で世界観はやけに素朴で、絵に描いたようなユダヤ陰謀説まで無邪気に持ち出していたりと、リアリティに関しては悪い意味でマンガ的というか、どこまで本気なの?という感じなのである。ところが、膨大なページ数を費やして執拗に描き込まれた登場人物たちの激しい情念のぶつかり合いには、こうしたリアリティの欠如を補って余りある迫力があって、疑問を感じつつもぐいぐい引き込まれて二段組ハードカバーの上下巻計1000ページ超を一気に最後まで読まされてしまった。全面的に支持はできないが、この筆力には敬意を表さねばなるまい。

 しかし、映画版『ローレライ』は、小説版のこのような熱気をほとんど持ってはおらず、そのためにリアリティの欠如ばかりが目立ってしまっていた。関係者のインタビューなどによると、映画の原案を依頼された福井が書いた200枚を超えるシノプシスを元に小説版と映画版が作られたというが、映画版はその時点でもう失敗が決まっていたというべきではないだろうか。200枚というと通常の映画脚本そのものの長さだから、そんなに長いシノプシスを映画化するのはまず無理なのである。実際、この映画は、限られた尺にむりやり詰め込まれた山場を追っていくので手一杯になっている。大所帯の登場人物たちを掘り下げて描写するどころか、騒動の張本人とその一味の動機すらほとんど描けておらず、単に頭のおかしな集団にしか見えない。さらに、ストーリーの展開上きっちり説明すべきポイントをいくつも省略しているので、小説版を読んでいないことにはとさっぱり筋が通らず、全編が大仰なだけの茶番にしか見えなくなってしまっているのである。
 あの平成ガメラ・シリーズの特撮を担当した樋口真嗣の初監督ということで特撮についてはかなり期待していたのだけど、こちらも悲しい仕上がりだった。この映画では予算の制約もあって、ロケ地やプールに実物大の潜水艦セットを浮かべたりはせず、すべて屋内の特撮で海も潜水艦も作り上げているそうだ。基本的にCGを主体にミニチュアを併用しているとのことだが、肝心のCGがかなり未熟な上に、ミニチュアの映像までCGの画調に合わせて調整しているので、すべての特撮カットがまるでコンピューター・ゲームのような重量感のない絵になっている。潜水艦や海戦シーンは最近のハリウッド映画どころか、44年前の『地球の危機』の原潜シービュー号や36年前に円谷英二が撮った『日本海大海戦』にも及ばず、主人公とヒロインが初めて心を通わせあう重要なシーンも海の上に見えないどころか屋外にすら見えなかったりして、なんともやるせない気持ちにさせられたのだった。
 ──と言いつつ、実は伊507潜のデザインはけっこう気に入ってて、浴玩の《世界の艦船スペシャル ローレライ》も買い漁りましたけどね。いやもう、映画『ローレライ』の最大の功績は、400円で1/700のフレッチャー級駆逐艦の完成品モデルが買えるようにしてしまったことではないかと。

『戦国自衛隊1549』は、『ローレライ』と較べると手堅い仕上がりの映画ではあった。こちらは小説版を読んでいないのだけど、映画だけ見ても『ローレライ』のようにあちこち筋が通らなく感じるようなことはなかった。だが、またもや事件の張本人の動機が充分に描き込まれておらず、そのせいで彼を追う主人公たちとの対決がどうにも盛り上がらない。監督の手塚昌明は、かつて『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』でどうしようもないようなひどい脚本をそこそこ見られる映画に仕上げた実績があるのだが、今回は脚本の弱さをカバーしきれておらず、平板な印象を免れなかった。
 とはいえ、手塚監督のゴジラ・シリーズでの経験は、特撮でできることとできないことの見極めに活かされており、生の映像を主体に要所要所に特撮を挿入するという正攻法を採りつつ、違和感なく両者を繋げることに成功しており、安心して見ることができた。特撮の力を過信し暴走してしまった感のある『ローレライ』とは、対照的な絵作りと言えよう。だが、自衛隊の全面協力を得た反面、過激な描写や借り物の戦車や装甲車を乱暴に扱うことはできなかったようで、アクションはどれも控えめになっている。自作の模造戦車を使って迫力ある見せ場を作っていた旧版の『戦国自衛隊』と較べると、かなり寂しい。全般に、すべての面をほどほどのところにまとめてしまった感じで、食い足りない映画だったなあというのが率直な感想である。人によっては、すっかり破綻していても勢いを感じられる『ローレライ』の方が良いと感じるかもしれない。

 実をいうと『亡国のイージス』もまた、イージス艦を乗っ取るテロリスト側の論理や情動が充分に描かれてはいない。悪者は悪者、悪の組織ショッカーと同列、とわりきって見られないこともないのだけど、一方で何やら思わせぶりな回想シーンが説明無しに間に挟まれたりもするので、何とも落ち着かない。例えば、主要登場人物の中では紅一点である女テロリストなどは、どういういわくのある人物なのか何を思って行動しているのか、映画を見ただけではさっぱり判らない。
 しかしながら、男臭い映画を得意にしている阪本順治が監督しているだけあって、テロリストに狙われたイージス艦を守ろうとする海曹と、身分を隠して潜入していた特殊部隊員の命懸けの心の交流を、きっちり盛り上げてみせているのは良かった。私の見るところ、今回の三作のうち福井晴敏作品のむやみなまでの熱気をいくらかでも銀幕に移せていたのは、『亡国のイージス』のみである。主演の真田広之も、冴えない中年海曹が乗艦の危機を目の当たりにして立ち上がるという、ふだんの彼とは違ったイメージの難しい役を的確に演じているのには関心させられた。実物の自衛艦を借りたロケの迫力は申し分なく、『ローレライ』の貧相さとは雲泥の差。艦対艦の戦いの考証についてはまあ目をつぶるとして、銃撃戦や格闘のアクションもそれなりに様になっていたように思う。

 そんな次第で、『亡国のイージス』はそれなりに楽しめたものの、『ローレライ』と『戦国自衛隊1549』は水準に達していないというのが、私の評価である。三部作を見終わって強く感じたのが、「福井晴敏の小説は、映画化に向いていないのではないか?」という疑問だった。先述の通り福井作品のおもしろさは、登場人物の背負っている想いについての、くどいぐらいの描き込みに依存している。ところが、上映時間が限られている映画では小説ほど個々の登場人物を掘り下げる余裕がなく、もっとも健闘していた『亡国のイージス』も含めて、三部作が揃いも揃って悪役の側の論理や動機すら描写できていないのである。もともと映画化を期待して小説を書いているという福井晴敏には気の毒だが、彼の作風は映画ではなく、テレビのミニ・シリーズのような、じっくり時間をつぎ込める形式が相応しいのではないか。ホラー・ファンなら、スティーヴン・キングの小説の映像化の事情とよく似た話だと言えば、ピンとくるだろう。
 映画としての完成度はともかく、これら三部作はどれも興行成績はまずまず良かったらしい。国産の軍事アクション映画を期待する需要が、確かに存在しているということだろう。これからも同傾向の企画が出てきてくれることを期待したいが、その際には今回の福井晴敏三部作の興行的成功に甘えずに、より一層上を目指した映画を作って欲しいものだと思う。

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