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2005/05/09

購書備忘録2005その30『ヘンリー・ジェイムズ「ニューヨーク版」序文集』

 ネットで注文した古書が2冊届く。

多田敏男訳『ヘンリー・ジェイムズ「ニューヨーク版」序文集』(1990,関西大学出版部)
 書名の「ニューヨーク版」とは、ヘンリー・ジェイムズが1907年から1909年にかけて編んだ自選作品集"The Novels and Tales of Henry James New York Edition"のこと。略して「ニューヨーク版」とか「ニューヨーク版全集」と訳されることが多い。この作品集でジェイムズは自作を入念に改訂したばかりでなく、各巻に詳細な解説の序文を付している。これらの序文は、収録作の鑑賞の手引きとして役立つのはもちろん、ジェイムズの小説観を知る絶好の資料として、しばしば批評や研究で参照されている。
 実は、「ニューヨーク版」各巻の序文はジェイムズについての研究サイト"The Ladder : A Henry James Website"で全文が公開されており、無料で読むことができる。しかし、当然原文なので、私のように英語を読むが得意でない者にはつらいものがあった。そこへ、たまたまこの邦訳の古書が手頃な値段で見つかったので、さっそく注文したのだが、中身を一読して唖然とした。少々長いが、以下に「ねじの回転」について語った箇所を一部引用してみる──

 それほど重要でない困難も見られた。例えば、今日そんなにも広く行われている、幽霊の事例に対する心霊的記録に関連して提示したいといった種類の印象は、そういったものを保持しておきたいといった試みは、すべてあっさりと断念するだけでよかった。それらの報告書では、違った記号や状況がそれらの事例を特徴づけている。違ったことが──概してほとんど何もなされていないように見えるけれど──幽霊となって現れる人々によってなされているのである。しかし問題点は、決してなされないことがあるということである。そしてこのような否定的な量は少なくない──ある種の控えめな態度、特性そして動かしがたいものが、一貫して押し出してくるのである。言い換えるならば、記録され、実証された幽霊は、わざわざこの世に登場するだけの労を取ったことに──そして幽霊はそうすることが大変なことだとどうやら思っているらしいのだが──匹敵するほどには、ほとんど表現しないし、ほとんど劇的であることもなく、特に連続的でも、意識的でも、あるいは反応することもない。だから、ある与えられた時点では素晴らしく、興味深い存在かもしれないが、彼らは「行為」という面では、およそ考えられない連中なのである──そして「ねじの回転」は、どのように見ても行為であったし、そうでなかったら何の取柄もない。

──どうだろう? わが母校関西大学の教授の訳業に意見するのは気が退けるのだが、何を言っているか一度ですんなり飲み込むのは、相当に難しいのではないだろうか?
 次に、以前ご紹介した古茂田淳三編・訳『ねじのひねり他二篇 ?正解のない幽霊物語?』(1993,あぽろん社)の同じ箇所を引用する──

 困難と言ってもあまり深刻でないものもあり、例えばわたしが醸し出したく思った印象の種類や程度については、心霊学上出現したと記録されて来たあり余る幾多のケースに歩調を合わす試みは一切捨てることにした。これらの報告中では色々な兆候や付帯状況が事件の特色になっているし、色々な言動が──ただ言動は概して非常に稀なようだが──出現する人物によってなされるが、しかし肝要な点は絶対なされることのない事柄があるということで、このなされない部分の占める量が大きく──ある種の無言、慎み、動きのなさは一貫して際立っているのである。記録され証明付の「幽霊たち」は、言い換えるとわざわざ出現の労をとる──しかも察する所大変な労を取ってのことらしい──にも拘わらず予期に反して感情を示さず、活動も示さず、とりわけ長時間に亘らず、意識する風を見せず、反応しないのである。その故に一定の瞬間においては驚異的で興味深いものの、それらは『筋の展開』となると問題にならない人物像なのであるが──ところが「ねじのひねり」とは筋の展開一辺倒のものであり、さもなければ無価値なのであった。

──これならば、まあ意味は取れるだろう。こちらの訳についても、先の紹介で私は「いくら難物と名高いジェイムズの文体とはいえ、不必要に詰屈に訳しすぎている感があり、かなり読みにくい」と評したのだが、多田敏男訳に触れてしまった今では、自分が贅沢だったような気すらしてしまう。なお、今回の引用箇所の原文を参照されたい方は、こちらをどうぞ。
 よく指摘されるように「ねじの回転」の幽霊は、ゴシック小説などで深夜に血まみれのおぞましい姿を見せて大げさに嘆いてみせる古典的な幽霊とは違い、昼夜を問わず生前そのままの姿で静かに現れるといった点に、当時の心霊研究の事例を参考にしていることが明瞭に見て取れる。しかし、上記の引用からも判るとおり、ジェイムズはそうした現実のものとされる幽霊の記録と、小説としての幽霊物語の効果とはまったく別物であると峻別しており、いわば実話の幽霊を超えようとしていたのである。このように成立の背景まで踏み込んでジェイムズの諸作をより深く読み込むには、『「ニューヨーク版」序文集』はやはり欠かせない手掛かりであって、邦訳の存在意義は非常に大きい。それだけに訳文に難ありと言わざるを得ないのは、とても残念なことだ。
 また、序文のうち、「ねじの回転」に関する部分のみを日本語で読まれたいなら、『ねじのひねり他二篇 ?正解のない幽霊物語?』の方をお勧めしておく。

『ヘンリー・ジェイムズの世界─ジェイムズ評論集─』(1977 6版,北星堂書店)
 英米で定評のあるジェイムズ論を集めた評論アンソロジーで、全7篇を収録している。
 私のお目当ては、「ねじの回転」の幽霊を女性教師の妄想とする説を広めたエドマンド・ウィルソンの「ジェイムズの曖昧性」。「ニューヨーク版」の序文でジェイムズが新機軸のゴースト・ストーリー創作にかける情熱を熱く語っているのを読んでしまうと、幽霊妄想説はまったく説得力が感じられないのであるが、ともかく原典には触れておく必要があると思ったのだ。このように、検証のつもりで何かを読む場合には、自分の中にあるバイアスを極力排除しなければならないのが厄介である。だからといって、最初から諦めてしまうようでは話にならないのは言うまでもない。

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